森美術館で開催中のネイチャー・センス展を見にいってきました。
一番の目当ては国立新美術館でのオルセー展なのだけど、
15時半頃着いたら入場まで30分待ちの混雑。
...少し入場を遅らせて先に本展を見てくることに。
今の都会人に一番欠如しているもの。
それは自然の一員としての自覚、「ネイチャー・センス」ではないだろうか。
衣食住はお金を払えば自動的に入手できる、というコンビニエントな感覚。
平和な社会における危機感のなさ。
それが一番危うい。
それだけに本展には少なからず期待していました。
...だけど。
感想を率直に言うと...
少しがっかりした。
唯一救いだったのは、写真撮影が可能だったこと。
そう、絵的にはすごいキレイだった。
アートとしては申し分ない。
空間体験としても、それなりに刺激されるものもあった。
...ただどうにも煮え切らない。
一線で活躍しているデザイナーやアーティストを批判する気は毛頭ないけれど。
ただ、「ネイチャー・センス」という観点から感想を述べるなら、
都会人の空想レベルを越えるものではなかった気がする。
[吉岡徳仁]
白雪の舞う様と結晶の美しさ。
マクロ的なグラフィック、という点では非常に美しい。
ひとひらの雪にも潜む偶然の中の美しい秩序や
気の遠くなるような時間をかけて形成される地層の美しさ、というものへの
自然への畏敬の念、という感覚を人間は呼び起こすべきではないだろうか。
[栗林 隆]
身をかがめてモグラのように地中から木々を眺める経験。
そしてその隣には大量の土を盛って作られた巨大な土山。
人間ではないものの視点と都会にはない土山が会場にあることの違和感。
自然を抽象的に抽出し、客観視することでネイチャー・センスを
呼び覚まそうとするものなのか。
[篠田太郎]
天井に大量に取り付けられた水の入ったボトル。
そこから一定の間隔で微量の水が小雨の如く、床面上の池に落とされる。
わずかに広がる波紋ははかなく程なく消えて再び静寂に戻る。
自然の持つ悠久の時間と、静寂を感じさせる。
[ブック・ラウンジ]
時間がなかったので本のラインナップはちゃんと見てないのだけど、
レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」と「沈黙の春」はぜひとも置いておいてほしいな。
アーティストや主催者たちの意図は理解できるけど、
正直ここまでやらなければならないほど、
現代人のネイチャー・センスは退化してしまっているのか、
と思うと逆に哀しくなってしまう。
本展そのものでいきなりネイチャー・センスが目覚めることはないだろう。
本展はきっかけでしかない。
自然の中での感覚は自然の中でしか磨かれない。
そしてある程度の時間をかけて磨かれていくものである。
どんな現代人の中にもネイチャー・センスはあると思う。
ただ眠っているだけである。
だから都会といえど、探せばそれなりに緑は見つかる。
自然なくして生きていけない、ということを潜在的には理解しているのである。
それを意識下でも正しい知識として認識できれば。
世界はもっともっと良くなるのではないだろうか。