白洲次郎

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NHKの白洲次郎のスペシャルドラマを観ました。

ミスターダンディ、昭和のジェントルマン、日本ではじめてジーンズを履いた男。
1945年の敗戦から終戦連絡中央事務局参与としてGHQと戦い、
1951年のサンフランシスコ講和条約にて見事日本を復活させた陰の立て役者。

あるときは通訳、あるときは政府要人の側近、あるときは実業家、
そしてあるときは農夫。
Wikipediaで見るだけでも彼の多面性や、謎めいた人生が垣間見える。

...そんな謎めいた伊達男を伊勢谷友介が好演してました。
それにしてもはまり過ぎ。


白洲次郎とは、一体何者だったのか。
彼に関する一次資料がほとんど残っていないため、
ドラマの制作には苦労したとか。
その意味ではこのドラマはオリジナルのストーリーであるとも言える。

ドラマを見る限りでは農夫が自分の天分だと感じているようだった。
しかし自信がなかった。
だからいろいろやった。
僕にはそのようにも見えた。


「自信」がないから「自身」もない。
そうして彼は彷徨った。

...いや、彷徨っているのはドラマに魅入っている僕自身なのかもしれない。

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[武相荘(オフィシャルサイトより)]


このドラマはそのストーリーもさることながら、映像の美しさもまた素晴らしい。
登場する人物の表情や自然の緑、人々が住む家の空間は生き生きとして、
その美しさを際立たせている。

白洲家が疎開してきた武相荘は今も現存していて、
しかも一般公開しているそうです。

...また見にいきたい建築が一つ増えました。


人間には天から与えられた本分があるという。
人はそれを全うして生きることが幸せなのだ。
自分にとっても、人間社会にとっても、地球にとっても。

人間以外の生きもの、いや、あらゆる存在はその本分をはじめから理解している。
犬は犬として生きればよく、バラはバラとして咲けばよく、
岩は岩としてただ、在れば良い。

人間だけが、自分の本分を人生の過程で見つけていかなければならない。

ごく早い時期に見つかる人もいれば、一生かかっても見つからない人もいる。
しかし本分というものは早く見つかればそれで幸せ、というわけじゃない。
見つけても全うできなければ幸せにはなれないし、
なにより本分を探し続ける、という行為自体が一つの本分なのだ。
そう、本分は一つではない。


東洋に「武士道」という道があるように、
西洋には「priciple(プリンシプル、「紳士道」)」という道があるそうだ。
白洲次郎はその両方を兼ね備えた男だった。
誰に対しても臆することなく自分が信じる本分を貫き通す。
それが日本一カッコイイ男と称えられた所以なのだろう。


  「君に今一番足らないものは、技術でも経験でもない、『自信』だ」


...と大学のある先生が僕に言った。
癖のある先生でなにかと取っつきにくい面もあるけれど、
言うことは正しく的を射ている。

先生は最初は建築を、次に都市計画を、
そして今は農業を学び、実践している。
くしくもそれは僕が今後歩みたいと思っている理想の道。

だから今は少々やりにくくても、その先生の言葉に耳を傾けたいと思う。

たった1つでもいい、自分とクライアントと社会が良しとする建築や街を創った後、
景色の良い、美しい場所に自分で住む家を自分で建て、
自分が食べる食料を自分で創る。

それが僕の夢であり、本分だ。


そのために今、僕が一番欲しいものは自信であり、勇気であり、行動力である。
...白洲次郎のような。

自信があれば勇気が出る。
勇気があれば行動できる。
行動できれば技術も修得できるし、貴重な経験も得られる。

知識はただ積むだけでは意味がなく、
使ってこそ、行動してこそその価値は発揮される。


白洲次郎は行動の人だった。
対する自分はさしずめ「記録する人」「整理する人」といったところか。

それも悪くはないが、記録や整理が本分なのではない。
やはりその後の行動が本分であり、記録や整理はそこへ至るための道なのだ。

...と自分を戒めながら今日も僕はブログを綴る。