進路・就職ガイダンス

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3年生も夏休みが明けると、いよいよ就活のシーズンです。

ちょっと早い気もするけれど、
早いところでは3年生の冬に内定してしまうところもあるのだとか。


大学の就職課が開催する就職ガイダンスへ行ってきました。
就職する人も、進学する人も、就職する気がない人も、
とりあえずmustで参加なのですが、どうも気乗りせず、
最終日にようやく重い腰をあげて、少し遅刻して会場へ。


僕の卒業後の希望は、建築及び建築構造をもっと専門的に学ぶために、
専門学校(早稲田大学芸術学校)への進学を考えています。
といっても、これ以上ちゃらんぽらんフリーターを続けるのも
限界に近づいているし、この大学と同じく夜間の専門学校なので、
昼間はちゃんとした職に就きたいとも考えています。
建築の実績が積める建築系の職に。


もちろん厳しい状況であることは重々承知。
この未曾有の不景気に加えて年齢的なハンデ。
未経験・新分野で残業なしの仕事なんてそうそうあるはずもない。

進学希望でありながら就職希望でもあるアラフォー。


...就職課にしてみたら、これほど厄介な学生もいないのではないだろうか。

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就職課の就職斡旋サポートを受けるには、就職カードを提出する必要があります。
いわゆる履歴書みたいなものです。
中学校卒業年度の和暦欄に「平成」しかないことに、
あらためて世代のギャップを感じてしまいます。

このカードを出さないと、一切の就職斡旋を受けることができません。

正直、大学の就職斡旋には期待していませんでした。
というより、この国の通り一辺倒の就活にどうしても疑問を感じてしまって。

受かるための就活。
そのためのポートフォリオ作り。
短時間で採用側に自分の良さを理解させるためのスピードアピール。

必要以上に自分を良く見せようとしている気がしてならない。
入ってしまえばこっちのもの、みたいな。
もちろん入ってからちゃんとやっていけるかどうかは本人次第であって、
大学側が関知することではないことは十分分かっているのだけど。

若い学生ならこのような就活も悪くない、というより普通なんだろうけど。


自分としてはちょっとこの流れは違う気がしている。
しかし、かといってやはり自分一人の力でなんとかできるものでもなし。
高い学費を払っている以上、大学の機能を利用しない手はない。
とりあえず、就職カードを提出し、個別面談で相談してみようと思う。
その上でまた考えよう。


2年半大学に通ってみて、つくづく日本の大学教育ってムダが多いと思う。
もちろん自分が通う大学を主観的に見る限り、においてだけど。

自分で高い学費を苦労して捻出して大学に通っていると、
将来自分の子供を大学に通わせたいとはどうしても思えない。

平気で毎回授業に遅刻する。
いや、学校に来るだけまだましで、授業に出ない学生も少なくない。
そういう学生を非難したいのではなく、
大学を出てから社会に出る、という今の教育システムを僕は非難したい。

どんなに知識を詰め込まれても、
それが自分の本分にどのように役立つかが実感できなければ、
学習意欲なんて湧くわけがない。

そうして若い学生は大学にいる意味を見出せなくなり、
学校の外に自分の本分を求めるようになって大学に来なくなる。
もちろん全ての学生がそうなのではなく、
半数くらいは大学の機能を有効に活用できているのだろうけど、
残りの半数はやはり大学に失望しているのではないだろうか。


しかし。
最終的に大学での学びに価値を与えるのは、
カリキュラムでもなければ、先生でもなく、学生自身だと思う。

単純に考えたって、美術なんて仕事には役立たない。
美術関係の職に就くのでなければ。
絵を見たり、詩を読んだりしても、そこに金を稼ぐ術はない。

それでも美術を学ぶのはなぜか。

僕は「感じる力」と「考える力」を養うためだと思っている。
ある程度社会を経験した今、僕はその価値がいかに重要かが分かる。
若い頃、いかに自分が考えていなかったかを痛感する。
いかに自分が感じることに無頓着であったかを痛感する。
だから今、ひたすら学びたいと思う。

しかし若者にしてみれば、「論より証拠」「案ずるより産むが易し」。
とにかく経験することが大事。
考えるより行動する時期なのだ。

今の若者に大学の4年間は長すぎる。
親は子供を遊ばせるために大学に行かせるようなものだ。
金持ちの贅沢ならともかく、貧乏人には酷だ。

高校卒業後、あるいはその後専門学校に2年ほど通って社会に出る。
まずは5年間働き、その間大学の学費を積み立てる。
そして自分のお金で大学に入る。
そのほうが学生のモチベーションは上がり、
よほど学習の効果が良くなるのではないだろうか。

学びは若いときにだけするものではなく、
一生かかってするものだと、という自覚を社会全体に植え付けることが
大事なのではないだろうか。
親から学費を払うシステムは義務教育+αの最小限にし、
自分でお金を払って学ぶシステムをメインにしていくほうが
教育ビジネスも健全であり効果的だと思う。


教育は親の義務であるが、教育は親だけの義務ではない。
親はエンジンをかけるスターターでしかなく、
その後は自分自身で燃料を供給し、エンジンを回し続けなればならないのだ。


  「子曰く、
   吾十有五にして学に志す。
   三十にして絶つ。
   四十にして惑わず。
   五十にして天命を知る。
   六十にして耳順(したが)う。
   七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)をこ踰(こ)えず。」