ダンス・ダンス・ダンス【村上春樹】

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ダンス・ダンス・ダンス〈上〉ダンス・ダンス・ダンス〈下〉


ノルウェーの森」ですっかり村上春樹にはまった。
続いて読んだのがこの「ダンス・ダンス・ダンス」。
上下二巻構成。
別にダンスをテーマにした物語ではない。

しかし。
人生は踊り続けなくてはならない。
「なぜ」踊るかなんて考えてはいけない。
そんなことをすれば人生そこで止まってしまうから。

しかししかし。
人生ときには立ち止まって後ろを振り返ってみるのも悪くない。
ずっと立ち止まりぱっぱなし、ずっと過去ばかり見てるのは良くないけど。


これはある男のそんな人生のふとした「立ち止まり期間」の物語。


主人公は「僕」。
34歳バツイチ。
高度成長資本主義の日常世界から取り残された僕は
自分の原点とこれから進むべき道を模索しはじめる。
...うーん若干の誤差があるもののまたまた自分とかぶる。

「僕」の夢の中で出てくる「いるかホテル」とキキ。
そこに捜し求める答えがあると信じた僕はいるかホテル目指して旅にでる...

ちょっと神経症的な23歳のホテルウーマン、ユミヨシさん。
「僕」の同級生でなにをやっても絵になる俳優、五反田君。
天才の母親、自分勝手な父親を持つ孤独な13歳の少女、ユキ。
「僕」をどこかに導こうとする謎の娼婦、キキ。
かつて「いるかホテル」の跡地に建った豪華な「ドルフィン・ホテル」の
16階に住む奇妙な「羊男」。ただ羊男に会えるのは基本的に「僕」だけ。

「僕」が羊男と再会したときの会話。

「それで僕はいったいどうすればいいんだろう?」「踊るんだよ」羊男は言った。「音楽のなっている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考え出したら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。だから足が停まってしまう。」


奇妙な人物と奇妙な場所で奇妙な体験を繰り返しながら、
僕はとにかく前に進む。ただひたすらダンスのステップを踏む。

そして辿りついた先は...やはり夢。
はじまりが夢だったように終わりもやはり夢。
夢の中でキキは告げる。

「でもどうして(僕の世界では)みんなが僕のために泣くんだろう?」...(中略)...「あなたが泣けないもののために私たちが泣くのよ」とキキは静かに言った。まるで言い聞かせるようにゆっくりと。「あなたが涙を流せないもののために私たちが涙を流し、あなたが声を上げることのできないもののために私たちが声を上げて泣くのよ」

そして「僕」が見つけたものは。

「ねえ、こんなに激しく求められたのって初めて」とユミヨシさんは言った。「そういうのってちゃんと感じるの。自分が求められているって。そういうことを感じたのは初めて」「これまで誰も君を求めなかったの?」「あなたのようにはね。誰も」「求められるとどんな気がするの?」「とてもリラックスする」とユミヨシさんは言った。「こんなにリラックスできたのは久し振り。まるで温かい気持ちの良い部屋にいるみたいな気分なの」「ずっとそこにいればいい」と僕は言った。「誰も出ていかないし、誰も入ってこない。僕と君しかいない」「そこにとどまるのね?」「そうだよ、とどまるんだ」


最近「受け入れる」ことの大切さを知った。
でもこの物語でただ受け入れるだけでもだめだ、と悟った。
人はエゴの世界から一生出ることはできないけど、
その中にただとどまるだけでは人は幸せにはなれないのだと。

「僕」にとって羊男のいる世界は「僕」にとってはまぎれもない現実の世界。
エゴも一つの現実世界ではあるけど、現実世界は一つじゃない。
「僕」以外の誰かにとっては「僕」のエゴは見知らぬ幻想世界。
そんな世界にいつまでも浸り続けることがはたして幸せなのか。

エゴを伝えることは自分の存在を伝える上では大切なこと。
でもそこに誰かを引きずり込んじゃいけない。

僕らはエゴの外に誰かを求めなければならない。
そこに僕らの求める「幸せ」がある。
エゴの外は怖いものだらけだけど、求めるものは意外に自分の近くにあったりする。


そんなことをこの物語は僕に教えてくれた気がします。
そういう意味ではこの物語は僕にとっての「青い鳥」なのかもしれない。