[本展図録 2,500円]
愛媛県美術館で開催中のウィリアム・モリス展に行ってきました。
格別モリスが好きなわけではないけれど、
モダンデザインの歴史を学ぶとき、その黎明期に必ず登場する人物でありながら、
テキスタイルデザインを専攻しない限りじっくりとそのデザインについて
吟味することもなく、「なんとなく」程度にしか頭に残っていない。
デザインの本質を理解するにはやはりその発祥を知ることが大事で、
本展はそのまたとない機会、ということで楽しみにしてました。
ウィリアム・モリスは産業革命を迎えたイギリス、ロンドン郊外の裕福な実業家の家庭に生まれた。
少年時代は近くのエピングの森の豊かな自然を遊び場とした。
エピングの森にはエリザベス女王の狩猟小屋があり、
その一室にかけられていたタペストリーに魅了された。
この最初の中世芸術との出会いがずっと彼の頭の片隅に残っていた。
聖職者を目指してオックスフォード大学に入るが、親友バーン=ジョーンズとともに
マスプロ化へ向かう産業革命を批判し、中世のクラフツマンシップを賞賛した
ジョン・ラスキンの著作「ヴェネチアの石」を読み耽り、
ラファエル前派の存在を知ることで関心が芸術へと向かい、
ラファエル前派メンバーの一人、ロセッティに師事するようになる。
そこでロセッティのモデルを務め、後にモリスの妻となるジェイン・バーデンと出会う。
最初は建築を志ざし、その後画家を目指すようになるが思うようにいかず、
結局詩や装飾芸術に身を捧げる決心をする。
こうしてみると、けっして天才肌ではなく挫折の繰り返しだったようで親近感が湧く。
いつの世も、最先端のものに対して懐疑的になることで、その次の最先端が登場する。
技術至高主義に対するアンチテーゼとしてデザインは誕生した。
ただ単に一部の特権階級のための限定的な芸術に回帰するのではなく、
対象を大衆というオープンなものにすることで「デザイン」という新しい概念が生まれた。
...そういうことなのだろうか。
1859年、モリスとジェインは結婚し、
その新居として建築事務所時代の友人フィリップ・ウェッブらとともに建てたのが「レッドハウス」。
その後モリスはケルムスコット・マナー、ケルムスコット・ハウスなど、
居を転々と変えていくが、最初のレッドハウスほどの素晴らしい空間には出会えなかった。
テキスタイルが有名なモリスですが、彼が本当にやりたかったのは最初に目指した建築ではなかったか。
そしてその建築の縁に恵まれなかったことが、彼の一番の不幸ではなかったか。
...自分にはそのように見える。
色とりどりのテキスタイルの数々。
刺繍、壁紙、印刷などさまざまな分野で活躍したモリスですが、
その根底にあるのはシンメトリーの繰り返しによる安定的なパターンデザイン。
それは安心を与える一方で、慣れてしまうと退屈という感情が芽生えてしまう。
アーツ・アンド・クラフツというデザイン運動を主導し、
「モダンデザインの父」と呼ばれながらも彼自身はその波に乗り切らなかった。
モダンデザインの萌芽を促すのが彼の役目というならばそれは素晴らしい功績なんだろうけど、
彼自身はデザイナーにはなりきれず、装飾家に終わってしまったのではないか。
この展示の中で心に残ったのは数多くのテキスタイルではなく、レッドハウスでした。
実設計は親友の建築家ウェッブによるものだったとしても、
彼の心は建築にあったのではないか。
そんな気がしてならない。
レッドハウスでの暮らしは彼の人生の中でたった6年程度。
この家を離れた理由は妻ジェインが寂しさの余りノイローゼ気味になってしまったため、だとか。
そのジェインはモリスの師匠ロセッティと愛人関係にあり、
モリスはその三角関係に苦しめられたとか。
[ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ『プロセルピナ』のジェーン 1874年]
本展ではモリスがもっとも愛した家はケルムスコット・マナーと言ってるけど、
自分はレッドハウスだと思う。
愛する人と住むための家を信頼する友と一緒にあれこれアイデアを出し合いながら創ったものに
愛着が湧かないはずがない。
三角関係さえなければ、ジェインが寂しがったりしなければ、
モリスはレッドハウスに住み続け、この家を理想郷として自ら手を加え続けたのではないか。
そして自分が一番求めた建築の道を歩んだのではないか。
邪推かもしれないけど、自分にはそのように思えてならない。
その意味ではジェインはモリスにとってやはりファム・ファタルだったのではないだろうか。
※本記事中の画像は冒頭の図録と案内板以外はネットから検索したものであり、
必ずしも展示内容と厳密に一致するものではありません。