地域別に見るロマン主義の多様性

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[テオドール・ジェリコ『襲撃する近衛騎士官』1812](出典:Wikipedia)

それまでの装飾的・官能的なバロック、ロココの流行に対する反発として、
18世紀中頃から19世紀初頭にかけてに台頭した新古典主義。
しかしそれもやはり一通り落ち着いてしまうと、時代はさらに次の様式へと移行する。

それがロマン主義。
保守的・安定的だった新古典主義に対して、再び革新的でダイナミズムな作風へ。

...歴史は繰り返す。


本記事は社会人学生時代の自分の西洋美術史のテスト答案を元に再構成したものです。
テストは授業内容(ルネサンス以降の美術史)の中から2つ、
自分にとって「最も大きな発見」をピックアップして自分の意見も含めて説明しろ、というもの。

自分は「バロック様式」と「ロマン主義」をピックアップ。

採点は見事100点をいただきましたが、
だからといって本記事が客観的に絶対正しい、ということを保証するものではありません。
あくまで一学生の主観に基づくレポートであることをご理解ください。


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[テオドール・ジェリコ『メデューズ号の筏』1819](出典:Wikipedia)

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[ウジェーヌ・ドラクロワ『サルダナパールの最期』1827](出典:Wikipedia)

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[ウジェーヌ・ドラクロワ『民衆を率いる自由の女神』1830](出典:Wikipedia)


ロマン主義もやはりバロック様式と同様に地域や作家によって様々な特徴があることが分かった。

フランスにおいてはジェリコの「メデューズ号の筏」「襲撃する近衛騎士官」、ドラクロワの「サルダナパールの最期」「民衆を率いる自由の女神」など、それまでの水平・垂直要素の強い安定感のある新古典主義からの反動による対角線構図や補色を使用した色彩の重要視により人間の内面の感情をダイナミックに表現した。


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[カスパー・ダーヴィト・・フリードリヒ『希望号の難破』1824]
(画像は大塚国際美術館の陶板画)


[カスパー・ダーヴィト・・フリードリヒ『樫の森の僧院』1809-10]

ドイツにおいてはフリードリヒは「希望号の難破」「樫の森の僧院」など風景の中に神秘を見出した。


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[ジョン・コンスタブル『乾草の車』1821](出典:Wikipedia)


[ジョン・コンスタブル『フラットフォードの水車小屋』1817]

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[ウィリアム・ターナー『雨・蒸気・速度』1844](出典:Wikipedia)

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[ウィリアム・ターナー『カレーの桟橋』1803](出典:Wikipedia)

イギリスではコンスタブルは「乾草の車」「フラットフォードの水車小屋」など身近な自然の中に美を見出し、ターナーは「雨・蒸気・速度」「カレーの桟橋」など、歴史的史実をドラマティックな光を取り入れることで人間の内面を描こうとした。

人間の内面を顕著に描くようになったのはゴッホやゴーギャンなどの後期印象派から、と言う認識だったが、それにしても彼らもいきなり突然変異的に登場したのではなく、これらのロマン主義のたゆまぬ表現の積み重ねがあったからだ、ということが分かった。見えるものを通じて見えないものを描こうとする画家の表現欲が絵画を段階的に進化させているのだということを改めて感じることができた。