わたしいまめまいしたわ 現代美術にみる自己と他者 Self / Other【東京国立近代美術館】

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MOMATで開催中の「Self / Other」を観てきました。
大学の「現代美術」の最後の授業でもらったタダ券で。

さまざまな画家たちの作品を通して自分のアイデンティティーを
模索し、確認しようというもの。

自分のアイデンティティーはなんなのか?
デザインを学ぶようになってからしょっちゅう考えることだけど、
なかなか明確な答えは出てこない。

だからこの展示を観れば何か閃くものがあるかなあ、と
期待して行ったんだけど。

けど。


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閃きどころか、これまで観た展示の中でも一番すっきりせず、
もやもやがたまるものでした。

ただ、展示がつまらなかった、とかそういうことは言いたくない。
ただ、自分の感性が混乱してしまっただけ。
キュレーターたちのいろんな試みや意図を汲みとろうとしてあせっただけ。


展示の中で印象に残ったものをピックアップします。

・澤田知子 「ID400」

  自身がモデルとなって髪型や服装、化粧、表情をいろいろアレンジして
  400通りのポートレートを撮影し並べたもの。
  先日MOTで開催された「SPACE FOR YOUR FUTURE」の
  タナカミノルの沢尻エリカの100変化写真とコンセプトが似てるなと思った。

  アイデンティティって邦訳すると「自己同一性」というらしいけど、
  こう訳すと余計アイデンティティというものが分からなくなる。
  それは1つの肉体の中には1つの精神しかないということなのか?

  澤田知子は400通りの自分を撮ることでそれを観る人に問いかける。


・宮島達男 「Monism/Dualism」

  縦一列に並んだ0~9までの数字を表示するナンバーLED。
  緑と赤のLEDが2桁1組で横向きに交互に並んでいて、
  緑のLEDは右側が上、赤のLED は左側が上といった感じで
  交互に向きが反転している。
  2桁の数字がそれぞれ異なる間隔でカウントアップされてゆく。

  宮島達男はなんのためにこのような作品を作ったのか?
  それが分からないままにずっとその作品を見続ける自分はいったい何なのか?


・草間彌生 《天上よりの啓示》

  目の焦点を限りなく自分に近いところに持ってゆくと、
  無数の光る原子が僕の目の前をランダムに向きを変えて流れてゆく。
  少年の頃からそのことにずっと気づいていた。
  でもそれを誰かに話したことはない。

  草間彌生の《天上よりの啓示》はまさに僕の目の前に見える、
  「無数の光る原子の流れ」を具現化したものだ。
  ここでも僕のアイデンティティが反応する。


・舟越桂 《森に浮くスフィンクス》

  マネキンをメークアップして作り上げたような異形のスフィンクス。
  そして「朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か」
  というスフィンクスの謎かけに「人間」と答えるオイディプス...
  ...父を殺し、母を妻としたことで「エディプス・コンプレックス」の語源となった
  人物の人物像とその行動を考えつつ異形のスフィンクスを見続ける。
  そんな自分っていったい...


・ビル・ヴィオラ 《追憶の五重奏》

  静止しているのか動いているのか分からないほどの超スローで
  5人の人物が見せるそれぞれの悲しみの表情。
  そしてそれじっと見続ける自分。

  表情が悲しみではなく喜びでも同じようにずっと見続けただろうか?
  動いているか静止しているか、そこに興味があるだけなのか?
  またもやアイデンティティーが混乱する...


何より一番分からないのは、この展示のスローガンになっている
「わたしいまめまいしたわ」という回文。いわんや"怪文"。
アイデンティティとは同じ場所をいったりきたりするもの、という示唆か?


考えれば考えるほど混乱する。

...でもやっぱり人間は考えてなんぼだと思う。
考えるだけじゃダメで、行動することが大切というのが正論と認める一方で
やはり行動するだけで考えないのもダメじゃん、という気もする。


しかしまあ混乱の中にもアイデンティティーのかけらは見えた気はします。


せっかくここまで考えたのだからもう少し考え続けてみよう。
...行動する努力もしながらね。