神は誰が創造したのか?

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[キリストの磔刑図(黄色いキリスト)(1889年)](画像は大塚国際美術館の陶板画)


神は自らの姿に似せて、人間を創った。
神は唯一絶対無二の存在だから、人間をあえて不完全な存在として創造した。

では神は誰が創造したのか?

「誰」という表現そのものが矛盾している。
始まりも終わりもなく、理由もなくただそこにある絶対的存在。
それが「神」なのだから。


しかしあえて僕は言う。

「神は人間が創ったのだ」...と。

不完全な人間が絶対的存在を夢見て創造した幻なのだと。



[エミール・ノルデ『聖誕』(1911-1912)]


この世界のあらゆる存在は不完全だ。
完璧な存在などどこにもない。
広大な宇宙でさえも始まりがあり、終わりがあるという。

しかし人間以外に「神」を持つ生きものは他にいない。

ちょっと考えれば神は人間が創り出した偶像であることは誰にでも判る。
しかしなぜ人々はそのことを広言しないのか。

それは「タブー」だから。

神は人間が創り出した存在、ということを認めれば、
人間は神が創り出した存在、という聖書の仮設に矛盾が生じてしまう。

人社会は矛盾を嫌う。代わりに秩序を好む。
この世界は矛盾に満ちているのに。

どうして人は矛盾を嫌うのだろうか。

その方が生きやすいから?
その方が効率的だから?
その方が幸せだから?

しかし人は秩序を求めすぎてかえって生きにくい社会を創出してはいないだろうか?
世界を狭くしてはいないだろうか。

世界の矛盾をただ素直に受け入れるだけで世界は格段に広がる。

キリストは神の子であると同時に人の子である。
アダムは神であると同時に人間でもある。
アダムは男であると同時に女でもある(アンドロギュヌス)。


科学は世界を一見世界を広げているように見えて、実は世界を狭めている。
芸術は世界を一見世界を狭めているように見えて、実は世界を広げている。


...そういうことなのか?