Marie Laurencin マリー・ローランサン美術館【長野県茅野市】

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マリー・ローランサン美術館へ行ってきました。
茅野駅から蓼科高原・ピラタスロープウェイへ向かうバスで約35分。
バスの便が少ないので気をつける必要があります。
今回は3時過ぎに茅野駅に到着して、次のバスが3時40分。
4時15分くらいに到着。

急いで美術館入口に向かうと...
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ホテル方面から入れ、とある。
ホテル...?と思いきや反対側に回るとなるほど、でかいホテルが併設されてる。

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急ぎチケットを購入して4時20分くらいから鑑賞開始。
美術館は5時までだから正味40分ほどしか鑑賞時間はなかったわけですが...


...十分でした。そんなに規模は大きくないようです。


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[チケット: この規模で1000円はちょっと高い...]


平日で閉館間際。
場所が場所で、時期も時期で、時間も時間...のせいなのか、
客は人っ子一人いない。
鑑賞者は自分だけ。まさに貸しきり状態。
静かにのんびリ鑑賞することができました。


現代美術のレポート課題が出ていて、
大学の図書館で題材探しをしていてローランサンの絵を見つけ、
彼女の絵を題材にすることにしました。
それでどうせなら、と遠く蓼科くんだりまで足を運んだわけですが。

今回は約500点ある所蔵作品のうち100点ほどが展示されているそうです。


彼女の絵は一見すると印象派のような感じを受けましたが、
資料などを見るとピカソやブラックなどのキュビズムの影響を最初に受けたものの、
キュビズムに染まりきらず、独自の路線を歩むようになった...とか。

作風は若かりし頃と歳をとってからと大きく異なります。
多くの人がそうである(...と思うのですが)ように僕も円熟期の頃の作品の
美しく、幻想的な絵のほうが好きです。
若い頃の作品はとげとげしく、生々しいものが多い気がする。

私生児として生まれ、成長期を長く母と二人で暮らしたこと、
詩人アポリネールとの恋の終わり、夫への失望、
最後は養女との隠遁生活...

ことごとく男性から裏切られ、男性に対する失望の人生が
彼女の作風に影響したと言われます。
後期の作品は多くが記憶と想像に頼って描かれたとか。

彼女の絵の中の女性にはおよそ表情というものがない。
あったとしてもかすかに読み取れるかどうかといった程度のもの。
全ての女性が同じ目をしていて、それらの目はどこかうつろげで、
遠くを見つめるようなまなざし。

彼女は絵に希望を託そうとしていたのか。
それとも絵で男に対する失望を訴えようとしたのか。

レポートでは複数人の人が描かれている絵を選び、
それらの人々の視線や仕草から人々の関係や、鑑賞者へのメッセージを
探り出すことが課せられているわけですが、
ローランサンの絵でこの課題に取り組むとどうなるか。
自分的にはけっこう面白いんじゃないかと思ったわけです。

表情が薄いから、そこから感情を読み取るのが難しい。
ルネサンスのような神話や逸話などをベースにしたストーリーが
背景にあるわけでもないし、絵の解説も比較的少ない。
つまりは模範解答がないから自分独自の考えが出しやすいのではないか。
そう思うわけです。

彼女の絵は幸福に満ちているわけではない。
どこか物悲しげで、現実から逃げるようなまなざし。
「そんなんじゃいけないよ、現世にも楽しいことはたくさんあるよ!」
そう励ましたくなる。
でもそれは実は自分への励ましなんじゃないだろうか。
時に無性に自分の中へ沸き起こる現世に対するわびしさ、虚しさに対する
励ましなんじゃないだろうか...そんな気がします。

作品の中で気に入ったのは、
「シャルリー・デルマス夫人」「アルルキーヌ(女道化師)」「音楽」
「接吻」「三人の若い女」「踊り子たち」...あたりでしょうか。

レポートの題材としては、
「踊り子たち」「お城の生活」、展示はされてなかった「舞台稽古」あたりが
いいかな...なんて考えてます。


最後に図録を購入。2600円。
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夕暮れの蓼科、遠くの南アルプス(...だっけ)をカメラに収めながら、
17:07のバスで茅野駅へ向かったのでした。
ちなみに帰りのバスも貸しきり状態でした~


※残念ながらこの美術館は2011年に閉館したみたいですね。
 入場者激減でやはり維持ができなくなったのかな...