合気道再開

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  「『檜垣忠雄』といえば?」


この問いに対する答えは人生の要所要所で違ってくるわけですが。

ここ最近でいうなら、「地域おこし」とか、「ユスモク(木工)」とか、
あるいは「美大」「デザイン」「アート」といったキーワードが出てくるわけですが、
デザインやアートは30代から、地域おこしや木工は40代から縁がはじまったわけで、
20代の僕しか知らない知人が今の僕を見たら、たぶん別人を見ているように感じるかもしれない。
それくらい30代後半から僕の人生はがらりと変わりました。

10代から20代の僕をひと言で言うならば、

  「とにかく身体を動かしていた」

につきます。
といっても、ジョギングやマラソンのようなプリミティブな競技や
野球やサッカーなどのチームスポーツは大の苦手。

僕が熱中していたのは武道とスキー。
中学生になって剣道をはじめたことから僕の武道生活ははじまります。
剣道にはじまり、なぎなた、極真空手、そして合気道。
前者3つはティーンエイジの終わりと共に別れを告げたのですが、
社会人になってはじめた合気道とスキーにはとりわけ熱中しました。


一生続けるものだと確信するほどに。


合気道には試合がありません。
「じゃあどうやって強さを測るの?」と合気道を知らない人はよく尋ねます。
他者との試合で勝負を決する他の武道と違い、
合気道は他者との比較で強さを決することはありません。
「強さを競わないでなにが面白いの?」...これもよくされる質問です。
僕はいつも「二人一組で行なう体操のようなもの」と答えています。

合気道は太極拳のように基本的に一人ですることはできません。
攻撃を仕掛ける側と、その攻撃をかわして技を返す側の二人一組で、
技を行ってゆきます。
すなわち護身術なのですが、
合気道という武道を「護身術」のひと言で片付けてしまうのはあまりに狭量です。
護身術は合気道の一側面に過ぎませんし、護身術が合気道の魅力とは僕は思いません。

二人の呼吸の流れを一つにすることで生まれる調和。
これを「和合」といいます。
この和合が合気道の最大の魅力なのです。
和合は互いを高め合うものです。
和合は本来コミュニケーションが心地良いものであることを教えてくれます。
ITの発達により現代社会のコミュニケーションはより高度化したけれど、
コミュニケーションをツールが肩代わりするようになってしまったことで、
人間そのもののコミュニケーション能力は退化してしまってはいないでしょうか。
こういう時代だからこそ、
合気道のようなコミュニケーション能力を磨く武道が必要な気がします。


上京して入社した会社の部活で合気道をはじめましたが、
当初は合気道のそんな特性もよく分からずに、
ただ身体を動かすのが無性に楽しくて熱心に稽古していました。
応用性がないのが自分の欠点なのですが、
合気道の持つ和合の精神を実生活に活かすこともなく、
仕事に関してはやりがいを感じることができないまま14年の月日を無為に過ごしました。

自分のやるべきことを探すべく、会社を退職して美大に入ったわけですが、
その時から合気道から足が遠ざかりました。
苦しい経済事情や時間的余裕のなさ、二つのことに同時に熱中できない性格もありましたが、
一度合気道から遠ざかることで、合気道の持つ本来の魅力というものについて考え直したい、
今思うと、そのような意識もどこかであったのかもしれません。
これも地域おこし協力隊、という客観的視点を重要視する仕事に就けたおかげです。

そして、やっぱり合気道を続けたい。
その想いが日に日に強くなってきて、近くで合気道ができる道場を探すようになりました。
そしてやっと見つけて、見学にも行って、年の瀬も押し迫った12月から稽古を再開しました。

合気道は柔道や剣道ほど流派が一本化されておらず、
道場によって指導法や雰囲気がまちまちだったりします。
なかには和合よりも「護身」を重要視したり、和合を極端化した「気功」にまで触れる道場もあります。
自分が東京で稽古していた道場は女性が指導者ということもあって、
とくに和合の精神を大切にする部分があったのですが、
新しい稽古場所もそれに近いものでひと安心でした。

なまりになまった身体は悲鳴をあげておりますが、
それでも意外と動けることにびっくりしています。
技も忘れてるようで意外と忘れてないな、と。
5年の月日が失ったものは決して少なくないけれど、取り戻せないものではない。
そう確信できました。

日本の合気道人口が増えれば、もっと日本は良い国になる。
今では本気でそう思ってます。
地域活性化策として、取り入れてみたい気もしますが、
いかんせん合気道をはじめてから和合の精神に到達するには時間がかかる。
望めば誰でも到達できるけれど時間がかかる。
地域おこしに時間がかかるように。

自分の中のカンを取り戻しながら、
合気道の普及活動について、来年はもうちょっと考えてみたいと思います。