地域マネジメントスキル修得講座【第9回】

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【交流会の豪華なディナー!】

愛媛大学地域マネジメントスキル修得講座第9回。

今回はこの講座の現在の受講生に過去の受講生を加えての合同発表・交流会。
現在の受講生が4期なので、1〜3期の先輩方が来て、
各期2名ずつ代表で事例発表を行います。
事例発表は各自発表資料を用意して一人あたり30分程度発表を行い、
あとは「放談会」とレジュメにはあったのですが、
フタを開けてみれば、発表者以外の口頭による自己紹介でした。
そして夜は宴席での交流会。

...という流れ。

いつものメンバーに過去の受講メンバーが加わると、
さらに大きなネットワークになります。
より多様性が増し、複雑性が増す。
このネットワークを上手く使いこなせれば、
より大きなことを成すことができるけれど、
使いこなせなければ烏合の衆になるのみならず、
単独でいる時よりも面倒なことになりかねない。

あらためてネットワークの威力と危険性を感じた一幕だったような気がします。


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【交流会の前に温泉も堪能!】

1〜3期生6人の発表のうち、半分が農業、半分が非農業系の発表でした。
が、いずれも何らかの形で「食」に関するものでした。
農業系の方は、個人農家が二人、一人が生産組合による組織農業でした。
非農業系は、病院の管理栄養士、コピーライター、そして(おそらく)行政関係の人でした。
そして都会の人もいれば、田舎の人もいました。
こんなにいろんな人がいるのに、最終的に「食」に至ってしまうのは、
この講座特有の特色なのだろうか。

まあ農学部だからごく自然といえば自然なんだろうけど、
農学部でも林業や森林学の専門家もいると聞いていたので、
その分野についてのカリキュラムに一縷の望みを抱いていたのですが、
フタを開けてみればほとんど触れられることもなく。
林業から木工での地域活性化に興味がある自分としては少々失望感を感じてしまうのは、
まあ、いたしかたないことなのでしょう。

ネットワークを広げる、という点と、農業や食に関する知識を深める、という点において、
この講座からは多くの学びを得ており、
それが自分の活動の活力の一端になっていることは確かです。
自然に近いところで暮らすことの大切さを再認識することもできました。
研究熱心な農家の方が、生産性を向上させるために人為的な操作されたF1種を
体内に入れることに疑問を感じ、固定種による栽培に力を入れている、という
発表を聞いて、「正しい生き方」というものについてあらためて考える機会を得ました。

また、一方で事例発表をしたコピーライターの方が、
この講座のネットワークは「斜めの関係の構築」だと表現していましたが、
実にうまい表現だなと感じました。さすがは言葉のプロです。
通常の組織ではたいてい縦横の関係しか構築されないものですが、
多種多様の人材が集まるこの講座の場は斜めに繋がっていくのかもしれない。
しかし、それでもある程度の「芯」というものが必要で、
その芯がなければタテ・ヨコ・ナナメとどんなに多種多様につながっていっても、
そのネットワークがパワーを持つことはありません。

この講座においては「地域活性化」がその芯に当たると思うのですが、
「地域活性化」という言葉自体が多種多様な総体であり、
芯として認識することが難しいものだと思うのです。
そこで「農業による」「食による」という具体性が芯になってくる。
農業や食の大切さは分かるけれど、自分の専門はそこじゃない。

自分の中の芯を表現する言葉として、自分なりに考えているのは「ものづくり」です。
つまり僕の芯は第二次産業なのです。
田舎での地域活性化に六次産業化が叫ばれるさなかにおいては、
第一次産業だけではなく、第二次、第三次産業からのアプローチがあって然るべきです。
こう捉えている時点で自分は農学部主催のこの講座にそぐわない存在といえますが、
地域おこし協力隊が地域の異分子であるように、
この講座でも僕は異分子なのかもしれません。

昔は異分子は忌み嫌われていたものですが、
客観的視点、という点で現代社会ではその価値が認められてきているように思えます。
ただ、異分子という存在は常にかなり強烈なストレスにさらされる、ということを
僕は自分のこの1一年半の活動で実感しました。
長くはできない仕事だな、と。

さらに、僕は自分自身が「マネージャー」になりたいわけじゃない。
こう思っている時点でたぶん来るべき場所を間違ったのかな、とも思うわけです。
僕がこの講座への参加を希望した最大の理由は、
「地域おこしにスキルはあるのか?」という疑問に対する答えを見つけたいから。
どちらかといえばマネジメントスキル、というよりは地域活性化スキルに興味があった。
マネジメントはどんなジャンルにおいても、組織運営においては不可欠なものですが、
地域活性化に必要なものはマネジメントだけではない、とも思います。
また、マネジメントは知識として積み重ねるものではなく、
経験として積み重ねることでしか身につかないような気もする。
ドラッカーを知る者がマネジメントを知る者のようには僕にはどうしても思えない。


「地域を元気にする十ヶ条」について事例発表されている方がいました。
「地域おこしにスキルはあるのか?」という疑問を持つ自分としては、
気持ちはすごく分かります。
でもやっぱり地域づくりの極意を言葉だけで表現するのは難しい気もします。
そこには「言葉は思っている以上に想いを伝えられない」という想いがあります。
基本的に思考は言葉で形成されます。
それゆえ人間は言葉が想いを伝える万能のツールだと信じて疑わない。
そこに盲点がある。
言葉で想いを伝えきれないから、人は絵画や彫刻、音楽やリズム、図やイラストなど
様々なメディアを使って様々な表現を試みた。
仮に地域おこしにスキルがあるとしたら、どのようにまとめてどのように表現するのか。
少なくとも論文ではないような気がしてます。
だから僕はこの講座の最終成果であるプロジェクト研究の成果を、
読む気の起こらない、見てるだけで眠くなるような文字の集まりにする気はありません。


この講座を批判する気は毛頭なく、
また、このような違和感は多摩美で社会人学生として学んでいる時も強く感じていました。
でもそのことでその場所で学んだことを後悔したことなど一度もなく、
むしろ多くの学びが得られて成長できたと感じることができました。
このような異分子としての違和感は、次への学びの序章として必要な感覚なのかもしれない。
そうやって一生学んでいけるのなら、それはとても幸せなことなのだろう。

考えるきっかけを与えてくれるものに感謝。