祖父一周忌

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法事で実家に帰省しました。

祖父の一周忌。
前の帰省は遊子川に来る直前だったから、半年ぶりの実家。

子どもの時分は大きな家だな、と思ってた。
古いけど風格があって、いろんな人が出入りして。
そんな家に住めることにどこか誇りがあった。
その家の家族であることにどこか誇りがあった。

町ももっと元気だったような気がする。
広島市内へも近く、それでいて、ほどよく自然も近くにあった。


...今、家はボロボロ。
玄関の戸はガタガタ、廊下は軋み、外壁や浴槽にはヒビ。
それでいて僕と同じくモノが捨てられない性分の祖母だけに家中ガラクタだらけ。
かつての威厳が垣間見えるのは仏壇くらい。
今はこの家がとても小さく見える。

家だけでなく、その周囲もそんな感じ。

街の中心には家が建って、ビルが建って、お店ができて、道路も広くなっているけれど、
一方で自然に近い際の部分では、草が茂って、イノシシが作物を荒らすようになって、
家が一軒一軒消えてゆく。

遊子川に比べれば自分の故郷は都会だなって、思ってたけど。

...一緒じゃん。
この町にも地域活性化組織が必要なんじゃないか。


田舎を都会化することが町おこしなんじゃない。
多いことがいつもいいことなんじゃない。
一箇所に集中させることがいつもいいことなんじゃない。

田舎が田舎らしく。
そうあることが誇らしく、そうあることが自然であるようにすること。
...それが田舎における町おこしなんじゃないかな。


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今回の帰省で感じたこと。
自分の思考パターンは祖母からの影響が大きい、ということ。
一緒に暮らしていた頃はあんなに反発していたのに。

ヒト社会で生きていくにはカネが必要だ。

しかし、ヒトはカネを与えてもらう、ということに対して感謝の気持ちを抱くのではない。
愛を与えてもらうことに対して感謝の気持ちを抱くのである。
カネの価値がよく分からない子供の時分はなおさらである。


僕の父母は僕の養育義務を放棄した。
父は僕と妹の世話を祖父母に押し付けた。
祖父は我が道を行く人間の典型だったから、
僕に社会で生きて行く上での基本を叩き込んだのは祖母だった。

父は働きながら僕と妹の生活費を祖父母に払っていたそうだ。
そのことに対して僕は父に感謝せねばならないのかもしれない。
いや、それ以前にこの世に生を与えてくれたことに対して感謝すべきなのかもしれない。

だけどそれができない。
分かっているけどできない。
二十代の頃のような「憎悪」は無くなったけれど、「嫌悪」は未だ残る。
表面上は普通に会話できても、心の底ではこの感情が拭えない。
家族の「絆」を感じることができない。
そんな自分にまた嫌悪するのである。

どれだけ仕事ができたとしても、人間として最低限間違えてはいけない選択を間違えた。
そのことがいまだに許せないのである。
...小さい、小さすぎる自分。


日本人はマイナス要素に美学を見出す文化じゃないだろうか。

「陰影礼讃」とか、「節度を保つ」とか、「控えめでいること」とか。
ある事象があって、そこに問題がある場合、
日本人はまずその問題に着目して、その問題を解決することに尽力する。

一方、西洋の合理主義では、問題はとりあえず横に置き、
その事象の良いところを探し、それを「アピール」する。
相対的に問題を小さくして、良いところに着目させることに尽力する。
これが「表現」というものだと思う。

西洋芸術が東洋美術に対して幅が広いのはそういう特性に基づくのではないだろうか。
逆に東洋は狭く深い。
それはそれで悪くないのだけど、最初にその入口が見つからなければ、
その深みにはまっていくことはできない。

東洋文化の血が流れていながら、安易に西洋文化の合理性を適用させようとする。
本来深みにあるはずの本質を見逃したまま、表面上の浅さでかつての文化を判断する。
その誤解が現代日本のネガティブ思考の根源となっている気がする。
効率化、という罠が深みにある本質を消し去ってしまったような気する。


もう一度言う。

カネは重要だ。
人が社会で生きて行く上で不可欠なものである。

しかし、目的をカネにおいている限り、人は幸せにはなれない。
その先にある愛を見越せない限り、幸せにはならない。

地域おこしも同じだと思う。
地域を愛せない人間に地域おこしなどできない。
どれだけ手腕が優れていようとも。


祖母がこんなに地域おこしに理解があるとは思わなかった。

それを気づかせる機会を与えてくれた祖父に感謝。

良い一周忌だった。