オオイチョウ紅葉

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ちょっと前まで、遊子川での厳しい寒さを体感し、急いでコタツを買ったのですが。

打って変わってのここ数日の温かさ。

異常気象ですなあ。


気づけば公民館の前のオオイチョウがいい感じに。
12月に入ってようやく...だからやはり今年はそんなに寒くもないのだろうか。
それとも巨大なぶん、紅葉にも時間がかかるのだろうか。


イチョウというと、今年の3月まで通っていた東京の美大を思い出す。


去年の今頃は、大学のキャンパスで黄昏てたなあ...


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こちらもなかなか見事なもんでしょ。

こうしてみると、遊子川のオオイチョウはまだ緑が抜けきってない感があるのかな。


入学した当初は、しょぼいキャンパスやなあ...とがっかりしてたもんですが、
住めば都、とはよく言ったもので、4年間ここで過ごしてみると愛着が出てくるもので、
気づけばこの中庭のイチョウの紅葉を見るのが大好きになってました。

大学へは半ば直感で行ったようなものですが、その直感は見事に当たりだった。
ここで見つけたいものを見つけることができたと思う。
そしてここで学んだことが、見事に遊子川で生きているように思う。


大学での生活が遠い昔のように思える。
それだけ遊子川での生活が充実している、ってことなのかな。


ものごとが上手くいき過ぎても、いかな過ぎても不安ってあるもんですね。


このブログには極力良いことしか書かないようにしています。
それは関係者に媚を売りたいからではありません。
もちろん関係者の方々と良好な関係を築きたいとは思っていますが、
それは媚を売れば得られるものではない。

過疎地である以上、問題は確かにある。
むしろ問題のほうが大きいのかもしれない。

その問題の核心を追求し、解決することは確かに大事です。
しかし、問題というものはネガティブ要素です。
問題にばかり注目し過ぎると、気持ちまでもがネガティブになる。
前に進むための力である「ポジティブ」から遠ざかってしまう。

それにだいたい悪い面、というものは他人から言われなくても意識しやすいもの。
それを他人から言われて気分が良いわけがない。


だったら、良い面に着目しようよ。
「魅力」を探し出し、それを育てることで、問題の大きさを相対的に小さくすればいいじゃない。
そのほうが楽しく取り組める。

だから僕はこのブログを「魅力の集まり」にしたいのです。


都会と田舎を比較するのが最終目標なのではない。

都会にも田舎にも良いところはあり、「らしさ」を生かせれば、
田舎も十分価値ある場所である、ということを証明したい。
田舎は決して都会に対して恥じることはなく、むしろ誇りを持ってもらいたい。


日本はもうダメだ、これからは海外だ、という声をよく聞きます。
都会でもダメなんだから、田舎はもっとダメだよ、という声も聞きます。

僕の取り組みはその声に対する挑戦である。
あきらめそのものが日本をダメにしていることに気づいてほしい。

安易に海外に逃げることがグローバルなのではない。
また、グローバルがローカルに勝るものでもない。
グローバル社会で生きることが視野が広いわけでもない。

ローカルでいいじゃないか。
そこが誇れる場所ならば。
今、その場所を誇れないのなら、誇れる場所にすればいいじゃないか。

日本人なら、日本という場所を愛そうよ。
日本を良くするのは他のどの国の人間でもない、日本人しかいないのだから。


たくさんの国に行くことがグローバルなんじゃない。
たくさんの国の人と知り合うことがグローバルなんじゃない。

自分で歩いていける範囲の中で、どれだけ世界を広く感じることができるか。
それが真のグローバリズムではないだろうか。