県主催の地域づくり実践セミナーに行ってきました。
自分がとくに行きたかったわけではなく、
なかば業務命令で内容もよく分からないまま、会場である内子座へ。
内子座は本来歌舞伎劇場なのですが、そこを講演会場として使ってました。
粋な演出ではありますが、人数詰め込みすぎ。
2時間半座りっぱなしてたらお尻がめっちゃ痛くなったよ。
セミナーは基調講演と新ふるさとづくり総合支援事業補助の事例発表の二本立て。
基調講演の講演者は、東京農業大学教授の木村俊昭氏。
国が定める地域活性化伝道師でその筋ではかなり有名な方だそうですが、
僕は勉強不足でまったく知りませんでした。
地域おこし協力隊としてのこの一年間の活動で、
地域づくりは知識や手法として学ぶものではなく、
感動を体験・共有することで地域住民を「その気にさせる」ものだと自分では思ってます。
このような講演を聞いて、ただ自分の中で消化するだけではなんの成果も上がらない。
知識としてただ伝えるだけでも不十分。
感動を伝え、少しでも共感してもらいたい。
だから僕は拙い文章とイメージに自分の想い(感動)を込めて記録する。
木村俊昭さんの講演では、まず北海道の昆布やさんの話と、やねだんの活動の二つの事例を紹介。
が、木村さんがどのように関わったか、という話には至らず。
「ん?この人も他人のふんどしで相撲をとる人か?」
と思ったのですが、一緒に行った職員さんの話では、ちゃんと自分でも活動する人らしい。
紹介事例も面白かったけれど、できれば自分の体験談を聞きたかったかな。
つくる人とそれを利用する人。
「他人のふんどしで相撲をとる」のはもちろん後者で、あまりイイ感じがしないですが、
別段この立場を蔑視しているわけではありません。
ただ、好き嫌いはある。
つくる人だけが持っている「感動」に心惹かれる。
だから僕はつくる人でいたい。
地域活性化に至る道で必要なキーワードとして、
「つなぐ」「全体最適」「楽しむ場の創出」を挙げておられました。
「つなぐ」のはまさに行政の特性でもあると僕は思う。
地域には必ず地域資源がある。
しかしその一つ一つは小さく、単体では効力を発しないけれど、
「つなぐ」ことによって大きな効力にすることができる。
しかしここで注意しなくてはならないのは、まず最初に「つなぐ」ありきにしないこと。
これをやってしまうと「つなぐ」ことの悪い面が出てしまう。
繋ぐことに専心してしまうがゆえに個々の魅力が薄らいでゆく、といった逆転現象だ。
かつて企業にいた人間からみると、行政という組織は、とにかくまず複合ありき、
という習性がすごく奇異に映る。
なにか一つに秀でることよりも、あらゆることを無難にこなすことが求められる。
それが公益性の追求を義務付けられた組織の宿命なのかもしれない。
そしてリソースの少ない田舎では、そんな行政組織の存在が重要になってくるのかもしれない。
しかし。
やっぱりそれだけでは地域活性化は不十分。
一つに集まることで起こる集中力が地域おこしには必要だと思うし、
地域おこしに成功している所はなにか一つ、核となるものがある。
一つしかするな、ということではなく、一つにできる「核」を持つべき、ということ。
部分最適ではなく、全体最適。
これも地域活性化の基本中の基本ではあるけれど、その始動は部分最適からはじまる。
いきなり全体を動かすことはできないし、まずはやる気のある人から動き、
その成果にやる気のなかった人の心を動かす。
時間をかけて全体は最適化される。
「楽しむ場の創出」。
これも当たり前のようでなかなか難しいものである。
地域づくりに取り組むにあたり、「まずは問題解決から」入ろうとするケースが多いけれど、
これは長続きしないと思うのです。
良識や義務感から社会を守る。
そりゃたしかに立派な精神ですが、本音を言えば誰だってツマラナイことはやりたくない。
何かをやるなら楽しいほうがいいに決まってる。
快楽追求は人間の本能だ。
ただ、なにが楽しいかは人それぞれだから、多くの人を満足させる「面白いもの」を
創出するのはなかなか難しいことではある。
後半は今治市の「ぎょしょく(魚食)推進プロジェクト」、伊予市の「あじの郷」づくり、
宇和島市のANAグループとの連携による宇和島地域のブランド化の紹介。
それぞれ面白い取り組みだと思うのですが、
自分としてはまだいろいろやり過ぎてるなあ、と思ってしまう。
自分がシングルタスクにこだわりすぎてるのだろうか。
地域おこしとは複合性ありきなのだろうか。
僕自身は地域おこしのプロになりたいわけではなく、
田舎に溶け込みたいだけなんですが、
その辺の立ち位置の違いなんだろうか。
まだまだリサーチの余地がありそうです。
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