「結婚支援を通じた地域活性化セミナー」

marrigeaction20120208.jpg


表記のセミナーに参加してきました。

文字通り、結婚を促進することによって過疎地の人口増加を目指すことで
地域を活性化していく。

そのためのノウハウや成功事例をレクチャーされるのかと思ってたのですが、
蓋を開けてみるとちょっと様子が違ってました。


もともとこの手の地域活性化には疑問を感じていて、あまり乗り気ではありませんでした。
今回もいわばピンチヒッター的に参加しました。

で、いざ会場に入ってみると...

参加者の大半は結婚推進委員の人たちでした。
僕のような地域活性化要員はほとんどいませんでした。

この歳にして独身の身にしては、肩身が狭いことこの上ないw。


まずお断りしておきますが、僕は決して結婚推進委員を批判したいわけではありません。

そして僕自身独身で婚活の対象にあたることから、
どうしても客観的ではなく主観的な主張になってしまうことも認めます。

ただ、それでもあえて言わせてもらいます。

結婚は周囲にお膳立てされてするものではない、と。

正直、僕は結婚推進委員に対してではなく、
ここまでお膳立てされなければ結婚できない男女たちに腹ただしさを感じます。
草食男子もここまできたか、と。

この歳で独身であることを棚に上げてるわけですが、
僕自身はお膳立てされるのが一番嫌いです。
婚活という言葉も嫌い。

縁を大切にすることができるのなら、人間は誰だって結婚できるはず、
というのが僕の持論です。


僕はそれほど異性にモテるわけではありません。
これまで異性と付き合った人数も世の平均よりはずっと少ないと思います。

それでも一度は結婚できた。
もちろん、その結婚は破綻したので自慢できるものではありませんが、
それでも結婚できた、という事実はただ運が良かったからだけではなく、
縁を大切にしたからこそ、と思っています。

その考えが根底にあるため、どうしても地域ぐるみの婚活に対して抵抗感を感じてしまうのです。


今回講師として講演していただいた原康久先生の話はとても素晴らしかった。
多くの結婚推進委員の人たちも感銘を受けてたし、
婚活に反対の立場の僕ですらモチベーションが上がった。
「どんなことをやるか」ではなく、「なんのためにやるのか」ということが大切なんだ。
その言葉に感動した。

なんども言うように、このようなセミナーで得るものはノウハウではなく、モチベーションなのだ。
元気がある人が、信念がある人が、楽しんで取り組めている人が成功するのだ。


では地域活性化要員として婚活に対してどのような提言をすればいいのか。

まずはお膳立てしなければ男女交際ができない現在の草食系男子の根性を叩き直すべきである。
...というのは極論としても、まずは地域の魅力を見出し、
地域そのものを活性化することのほうが重要だと僕は思う。

魅力のある地域には、魅力のある人が集まるのだから。
そういう状況になれば、そういう人達同士が自然と結ばれるはずである。


僕が結婚出来ないのは、この歳にして先立つものがないからである。
嫁を迎え入れる準備が出来ていないからである。
やるべき事リストのなかで、婚活の優先順位を低くしているからである。
つまり今の僕には婚活をする資格がないのである。

この歳で独り身でいることに一抹の寂しさを感じはするものの、
僕は自分の選択に後悔はしていない。

他人は言うだろう。
「哀れなヤツだ」と。

でも僕は気にしない。自分が不幸だとも思わない。
最終的に自分の人生を決定するのは運ではなく、ましてや他人でもなく、
自分自身による選択であることを知っているから。
そして縁を大切にさえしていれば、人生の伴侶に出会えることを知っているから。
その時を僕は自分で選び、勇気を振り絞ってアプローチしたい。

仮に人生の伴侶に出会えず、一生独りだったとしても、後悔はしないだろう。
前向きに取り組んでいる姿勢が、人生の幸せだから。
他人が敷いたレールの上を進んでも、そこに幸せはない。


では行政は婚活をすべきではないのか。

全否定はしないものの、「結婚」を全面的に出すのは控えたほうがいいと思います。
合コン程度でいいのではないのでしょうか。
地域活性化対策としては二次的なものでいい気がします。
意見交換会など、「交流」をメインにした方がいいと思います。
恋愛に発展させるのか、友情に発展させるのか、は本人の選択に委ねるべきです。

なにもか周囲がお膳立てする便利な社会。
それは一方で人間の「生きる」という根源的な機能を退化させてはいないだろうか。

自然に近い田舎においては、自然の一員として自然に生きる道を選択したい。
それがたとえどんなに厳しい道であっても。

...偏った意見であることは認めます。
でもそれでいいと思います。

万人に共通するただ一つの答えを探すのではなく、
すべて人にはそれぞれ異なるただ一つの答えを持っている。
そのことを受け入れさえすれば、矛盾にあふれた世界を受け入れることはそれほど難しくない。