地域マネジメントスキル修得講座【第6回-1】

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[愛媛大学の植物工場]


愛媛大学地域マネジメントスキル修得講座第6回1日目。
いつもの農学部キャンパス。

午前中は胡柏先生の「有機農業の経営と環境マーケット」、
午後は仁科弘重先生の「新たな食料生産システムとしての植物工場」。

有機農業と植物工場。
どちらも現代農業の主流とは一線を画し、両極端に位置するスタイル。


田舎は農林漁業の第一次産業の舞台です。
僕自身は、第一次産業に従事したいから田舎に来たのではなく、
第二次産業である「ものづくり」をしたくて田舎に来たわけですが、
田舎で暮らすにあたり、主要産業である第一次産業を理解することは
とても重要なことだと思っています。

第一次産業は人類最初にはじまった産業であり、
今もなお、人間の生活基盤を支える重要な産業であるはず。
それがどうしてこんなに異質な構造で、
現代の経済システムにそぐわないものになってしまっているのか、
部外者としてはとても不思議に感じてしまいます。

今も昔も、食の摂取が生命維持の基本である以上、
第一次産業は時代遅れであってはならないはず。
20世紀の都市集中型社会が、田舎の末端社会を軽視したことは、
最大の過ちではなかったか。


科学的には、日本の農業は世界のトップクラスをいってると言われてるそうですが、
田舎の現実を見るにつけ、経済システムはその科学力にマッチングしていない。

第一次産業の最重要視化。
それが六次産業のめざすところではないでしょうか。


まず、「有機農業の経営と環境マーケット」。

農法のスタイルは科学の発達と共にその姿を変えてゆきます。

初期の農法は「伝統的農業」もしくは「慣習的農業」と呼ばれます。
土地の資質が生産力に決定的な影響を及ぼすものであり、
天候などの自然条件に左右されるため生産は不安定であり、
また、生産力の割には重労働を強いるものであり、
人口の増大と共に貧困をもたらすようになってきます。

その問題を打破するべく登場してくるのが現在主流となっている、
「慣行農法(近代農法)」になります。

土地の資質が生産力の決定要因であった慣習的農業に比べて、
慣行農法では人的資源の重視による生産力拡大が図られます。
つまりは、科学力の駆使です。

バイオ技術を使った品種開発・改良、
化学技術の発達による肥料・農薬などの近代資材の開発、
機械工学の発達による農業機械施設の開発。
いわゆる「緑の革命」と呼ばれる第一次産業革命が起こります。

緑の革命は爆発的な生産力の拡大をもたらす一方で、
地球環境へ悪影響を及ぼすことにもなってゆく。
第二次産業ほどではないにせよ、マスプロ化の悪影響が第一次産業にも出はじめるわけです。

そこで第三のスタイルとして登場するのが、環境保全型農業、いわゆる有機農業です。
いわゆる「地球に優しい農業」です。

ただ、有機農業はまだ主流にはなっていない。
現在は有機農業をやっている、というと「ちょっと変わっている」という偏見がつきまといます。
その最たる原因が、「有機農業では稼げない」ということにあると思います。
成功している人もいるが、まだまだ経済システムとしては未熟である。

「儲からないからやらない」のではなく、「あるべき姿だからやる」。
多くの人がこのように意識改革してゆくことが有機農業の将来を左右するのではないでしょうか。


続いて「新たな食料生産システムとしての植物工場」。

こちらは「食の安定供給」が最大の目的になります。
いつでも(定時)、必要な量を(定量)、同じ品質で(定質)、同じ価格で(定価格)。
基本的にこの4定を目指します。

従来のマスプロ哲学を継承するものであり、
家族労働・家族経営ではなく、会社組織による企業経営が基本です。

「土は植物にとって最適な培地とは限らない」という哲学の元、
植物の生育環境を人類の科学力を駆使してコントロールするものです。

科学的には最先端かもしれませんが、哲学的には時代遅れだと個人的には感じてます。
そして科学の発達度が、人類の幸福度に比例しない、というのも自明の原理です。
科学(論理)と芸術(哲学)のバランシングが人類の幸福度を決めるのです。

「食の安定供給」がはたして、人類に最も必要な施策でしょうか。
もちろん飢えを凌いで生きていくことが生命維持の基本であることは永遠不変です。
しかし、食が「いつでもどこでも簡単に手に入る」という感覚は、
食の大切さを麻痺させます。

また「旬」は食の一つの価値ではないでしょうか。
ある時期、ある場所でしか食べられないから、その食物は貴重になることもある。
「いつでもどこでも」という均質化はその旬が持つ魅力を根こそぎ奪ってゆきます。

ちなみに「植物」と「工場」、英語ではどちらも「plant」と言います。
人類が農耕をはじめた時点で、マスプロの拠点である「工場」が生まれた、
ということでしょうか...

マスプロ嫌いの偏見かもしれないけれど。
マスプロに頼らざるをえない現状も分かっているけれど。
それでも行き過ぎたマスプロ指向を危惧するのは決して間違っていないと思うのですが、
はたしてどうなんでしょう?

第一次産業従事者の経営感覚を磨くことが重要だと思いますが、
それは別段家族経営を企業経営にスケールアウトしなければできないことではないはず。

適度なスケールを保ったまま、個々のレベルアップを図ってゆく。
その上でそれぞれの個々がネットワークで繋がってゆく。

これが新時代のネットワーク社会のあるべき姿ではないでしょうか。