両親が離婚し、母親の郷里の島根にやってきた少女・杏。
間もなく母親は人生に疲れ果て、自殺してしまう。
そのトラウマを抱えながらも、大悟、藤、椎香らの仲間と共に成長していくが...
心にトラウマを抱えた少女の物語。
人は誰でも生まれたときは無垢だ。
人生を生きていく過程で様々な傷が刻み込まれ、
その傷の治癒力によって人は強くなっていく。
そういう意味で多かれ少なかれの程度こそあれ、
人は誰しもトラウマの一つや二つは持っている。
これは特別不幸な誰かの物語ではなく、
ごく一般的な、そしてきわめて人間的な物語ではないだろうか。
「強さは弱さの上にある」
...大悟はそう言って杏を励ました。
人は誰だって最初は弱い存在だ。
時を経て、身体も心も成長していくことで人は強くなっていく。
しかし「強くなる」ということは、
元からある「弱さ」が消え失せて、新しい「強さ」が現れていく「変質」ではない。
弱い部分を何層も何層も積み重ねて全体として強くなっていくのだ。
だから一見強そうに見えるいい大人が内部に「弱さ」を持っていても、
それは不思議なことでも恥じることでもなく、ごく自然なことなのだ。
しかしだからといって、人間が弱いままでいい、というわけではない。
「弱さが周囲を傷つける」と言う杏の婚約者の言い分もまた真なり。
一般には強者が弱者を傷つける、と思いがちだけど、それは違う。
強き人間は他人を傷つけたりしない。むしろ他人を励ますものである。
他人を傷つけるのは人間の「弱さ」である。
弱さは自分はもちろん、その周囲も傷つける。
自分は自業自得だが、周囲はいい迷惑である。
母親の弱さが、杏と父親と祖母を傷つけ、
杏の弱さが婚約者、椎香、大悟を傷つけた。
人は自らの弱さを抱えながら強くなっていかなければならないのである。
一人一人は皆弱い存在である。
しかしその一人一人の「弱さ」の積み重ねが、時を刻み、人全体を強くしていく。
だから人は皆一人では生きられない。
だから自分がどんなに弱くても、卑下する必要はない。
逆に自分とその周囲が幸せになるために、その「弱さ」が必要なのだ。
一粒一粒の粒子そのものは何もすることは出来ない。
しかしその粒子が集まって砂となり、
器に入ることで正確な時を刻むことが出来るようになる。
自分のことだけ考えて嘆いていては、一粒の粒子の如くなにもできない。
しかし自分の外にある仲間のことを考えたとき...
あなたは既に強くなっている。
正確に時を刻む砂時計の一部となっている。
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