いま、女として 【金賢姫全告白】

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上下二巻構成。

文庫本ではなく単行本をずいぶん昔に買ってました。

北朝鮮拉致被害者、田口八重子さんの家族と金賢姫との面会のニュースを見て、
久しぶりに読み直してみました。


1991年10月1日に日本語版初版が出版されて、
僕が購入したのが1992年1月15日の第12刷版。

いかにこの本がベストセラーだったかが伺えます。


1987年11月29日。
バグダッド発ソウル行きの大韓航空858便がビルマ上空で爆破、
乗客乗員115人全員が死亡した。
乗客のほとんどが中東方面に出稼ぎに出ていた韓国の労働者だった。
実行犯は日本人父娘に偽装した二人の北朝鮮の工作員だった...

二人は中継地のアブダビでKAL858便から降機、
バーレーン-ローマを経由して平壌に戻ろうとするが、
バーレーンで事件が発覚、二人を拘束しようとしたところ、
あらかじめ用意していた毒薬により自決しようとする。

男は即死。しかし女はかろうじて命を取り留める。
その女性工作員が金賢姫であり、韓国へ護送され、
一度は死刑宣告を受けるが韓国政府により特赦される...


国家のエゴに翻弄され、
殺人者となってしまった美人工作員の数奇な運命。

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外国人たちは、大韓民国がなぜ私のようなひどい罪人を生かしておくのか、多分そのこと自体も理解できないに違いない。人命に重きをおき、犯罪者の処罰に果敢であり、法秩序に透徹している彼らには、百十五名を飛行機とともに犠牲にした犯罪者に対し、これほどに寛容な処置を施すことはないだろう。民族分断の悲劇を、みずから体験している私たち朝鮮人でなくては、到底理解のできない、納得のできないことなのである。~中略~私がここに来てわかったことはあまりにも多いのですが、その中でももっとも強くのこったことは統一の日が遠くないということです。ドイツが統一されたように、世界情勢が、わが朝鮮にも間もなく訪れてくる統一を予告しています。私たちは必ず会えます。そのときまで、お母さん、お父さん、どうか健康に気をつけて生きていてください。


被害者遺族はけして彼女を許さないだろう。

しかし国としては彼女を許した。
政治的な意図もあるのだろうが、韓国民の多くは彼女に対して同情的であるという。

国が分断されてさえいなければ、この事件は起こらなかった。
金正日という狂人さえいなければ、この事件は起こらなかった。

この事件から20年以上が過ぎた今なお、
残念ながら彼女の願いは叶っていない。
狂人は相変わらず君臨し、李恩恵(田口八重子さん)は日本へ戻っていない。


平和な日本に暮らしていると、北朝鮮の惨状はこうしたメディアにより
想像するしかないのだけれど、それにしてもなぜにこうも狂った国家が
存在できるのか、理解に苦しむ。

一握りの狂人のエゴのためにどれだけ多くの国民が苦しんでいるか。
なぜ国民は立ち上がらないのか。

北朝鮮にはあらゆるものが不足しているのだろうけど、
一番足らないのは知恵と勇気ではないだろうか。

狂人はただの狂人でなく、狡猾さを備えている。
国民に徹底した思想教育を施し、最も強力な武器を国民から奪っている。

北朝鮮の人々を救うには物資の供給もさることながら、
一番必要なのは真実を見抜く知恵と立ち上がる勇気ではないだろうか。


金賢姫の日本人化教育を担当した李恩恵については下巻27章に記述されています。

ある日の夕方、野山の道を散歩しているときであった。山羊が一匹、草を食べながらメーメーと泣いていた。恩恵は山羊の声を聞いて思いだしたのか、歌を一曲教えてくれた。歌は「ドンナ・ドンナ」という曲名だったが、ある晴れた日、一匹の山羊が仲間を離れて、馬車に乗せられて売られていくという悲しい内容であった。童謡に似ていたので、彼女について習いはしたが、彼女が連れてこられた自分の身の上を思って歌うように思えてならなかった。

工作員を教育する立場というのは、北朝鮮ではかなり高い立場で、
一般人に比べれば贅沢な暮らしができていたそうですが、
それでもけして幸せでない恩恵の心情が伺えます。

自国民ならず他国民の自由までないがしろにする。
そんな政府のどこに正義があるというのだろう。


しかしどんなに狡猾な狂人といえど、人間本来の真性を根こそぎ奪うことはできない。

父は以前と違って私に対する態度も冷たかった。視線を合わせようともせず、私と話をするのも避けているような様子だった。父の急変した態度が、招待所に帰ってからも気にかかってたまらなかった。私はある夜"自由主義"をして招待所を抜け出し、父に会うために家に飛んで帰った。家に着くなり私は父に、「私が何か間違ったことをしましたが?」と問い詰めた。すると父は、「もう私情を断ち切るときになった」と、苦痛に満ちた表情で答えるのだった。


中央労働党(政府)に入党し、着々とエリートの道を歩む娘の姿を
両親は素直に祝福できなかった。
政府に娘の幸せはないと感じていたのだろう。
実際娘はその後一生背負っていかなければならない業を抱えることになる。

しかし両親が持っていた真性を引き継ぎ、彼女は更正の道を得た。
ただ強運なだけではない、彼女の「ちゃんと生きたい」という強い願いが
その人生を実現させた。


この本を読んで金賢姫をただ「かわいそうだね」と哀れむだけでは、あまりに悲しい。

幸せに生きるためには何が必要なのかをこの本は教えてくれるはずだ。


田口親子と対面する金賢姫の姿は月日の流れを感じさせた。

だけど彼女は相変わらず美しかった。
いや、もっと美しくなったと言う方が正しいのかもしれない。

彼女も今や人の子の母であるという。
元死刑囚、という一生負わねばならない業を背負いながら、
多分一生監視されるという不自由な生活を強いられながら、
それでも彼女はこれからも前向きに生きていくのだろう。

容姿が彼女を美しくするのではない。
生き方が彼女を美しくするのだ。


自分で考え、自分で自分の人生を決断する。
これ以上に幸せなことがあろうか。