手紙 【東野圭吾】

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映画を観た後に原作読みました。
相変わらず東野作品は読みはじめると止まらない。
映画を観てある程度筋書きを把握していたのもあるかもしれないけど
一気に読んでしまいました。


...映画以上に泣けた。

映画は概ね原作に忠実で、だけど「ただきみ」同様細かいところで
設定が違う部分がいくつかあったけど、原作の良さを生かしつつ、
映画オリジナルの良さもあった。

僕的には原作も映画も満足のいく、いい物語だと思った。

以下映画との対比をしていきたいと思いますが、やはりネタばれ的な
ところがありますのでこれから映画や原作本を楽しもうという方で
あらすじを知りたくない方は以下は読まないでください...

  ・直貴の夢は映画ではお笑い芸人ですが、原作はミュージシャン。
   まあ演技の都合上、なんですかね。山田君のお笑い芸人、
   というのも新鮮だったし物語の流れ的にはどちらも違和感なかったかな。

  ・直貴が最初に好きになった人(朝美)との別れ方。
   原作は朝美を妊娠させて既成事実を作って朝美の両親に結婚を認めさせよう
   という"恵まれたもの"への執着があって、不遇な人生が人格を歪ませていく、
   ということに直貴自身が気づき、直貴のほうから身を引く感じ、
   一方映画は朝美が引ったくり強盗被害に遭い、
   結局は犯罪者への差別意識から朝美(の父親)のほうから別れる。
   ちなみに原作では由美子が直貴と結婚後に引ったくり強盗に遭います。

  ・兄・剛志が殺人に使った凶器
   間違い探し的な要素で気になるレベルではないですが、
   映画ではハサミ、原作ではドライバーでした。まあこれも演技の都合ですよね。


この物語がもたらす涙はいわゆる「感動の涙」じゃない。
悲しく、やるせない想いがもたらす涙。

正直ハッピーエンドじゃない映画は僕は苦手。
結末があやふやであとは観る人の判断におまかせ、というのも好きじゃない。
僕は映画には希望を求めたいから。

それでも僕がこの物語は素晴らしい、と思ってしまうのは
ともすれば避けてしまいがちだけど、
生きていく上で避けて通れない、通るべきでない大切なことを
面と向かって優しく、それでいてしっかりと教えてくれるところ。

誰もがこの物語のような不遇にいるわけじゃないけど、
誰にでもやるせない、どうにもすることのできないことの1つや2つはあると思う。
それは能力的なものだったり、状況的なものだったり、運的なものだったり。
人の幸せはその個数がいかに少ないか、で決まるのではなく、
いかにその事実を「受け入れるか」で決まるのだとこの物語は教えてくれる。


一方でいつまでも考えさせられることもあります。

  「(犯罪者の周囲への)差別はね、当然なんだよ。
   犯罪者やそれに近い人間を排除するというのは、
   しごくまっとうな行為なんだ。

   我々(一般人)は君(犯罪者の家族)のことを差別しなきゃならないんだ。
   自分が罪を犯せば家族をも苦しめることになる-
   すべての犯罪者にそう思い知らせるためにもね。」

その通りだと思う一方で本当にそれでいいのか、とも思う。
差別する、という行為は道徳上ではどんな対象であれしてはならない。
しかし愛するものを守るためにはときに必要な行為なのかもしれない。
相反しながらも同一的に存在しなければならない、という矛盾。

世の中は矛盾に満ちている。
...まずはそのことを受け入れなくてはならない。
難しいね、世の中って。


  「兄貴に弟の姿を見せるのはこれが最後なんだから
   -自分にそう言い聞かせた。」

  「あの手紙を読んだ時、涙が止まらなかった。絶縁を告げた手紙は、
   自分でも冷酷な内容だったと思っている。
   さぞかし剛志は不満なことだろうと想像していた。
   だが兄の思いはまったく違っていたのだ。

   私は手紙など書くべきではなかったのです-。

   違うよ兄貴、と思った。
   あの手紙があったからこそ、今の自分がある。
   手紙が届かなければ苦しむこともなかっただろうが、
   道も模索することもなかった。」

  「兄貴、俺たちはどうして生まれてきたんだろうな-。
   兄貴、俺たちでも幸せになれる日が来るんだろうか。
   俺たちが語り合える日が来るんだろうか。
   二人でお袋の栗をむいてやった時みたいに-。」

ラストで刑務所に慰問にきた弟に対し、
涙を流しながら手を合わせ、合唱する兄。
映画のシーンともかぶさって涙が止まらなかった。

二人は幸せになるために生まれてきた。
だから幸せになれる日は必ず来る。
二人が語り合える日も必ず来る。

僕はそう信じる。
それはとりもなおさず自分自身が幸せになるために必要なことだから。