小僧の神様 【志賀直哉】

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久々の読書レビューです。
そして久しぶりに往年の文学作品を読みました。

友人から借りました。志賀直哉短編集。
表題の「小僧の神様」他10篇。

発行がかなり古いので表現に昔の書体がかなり用いられており、
全部で200ページ強なのですが読むのにかなり骨が折れました。
なれると見慣れない旧書体でも類推できるようになるのですが、
ひとつ「兎に角」というのが最後までわかりませんでした。
ネットでググったら一発。
「とにかく」と読むんですね。当て字なのかな...

最初の数編を読んでこの作者の作風は中途半端だなあ、
と思いました。読者に今後の行方を想像させる、というか、
「え?こんなところで終わるの?」と思うことしばしば。

が、読み終える頃にはなんとなくいい本だなと思えました。
際立って衝撃を受けるとか、ストレートな感動とかそういうのは
ないけれど、感情と感情の間にある「ひだ」というか、
そういうのをそれとなく示唆しているように思えたのです。

すべての感情をすべての状況において明確に説明することは
なかなか難しいことだと思います。

簡単なことを分かりやすく相手に伝えるのは本当に簡単です。
難しいことを分かりやすく伝えるのは本当に難しい。
あたりまえだけど。

この本ではその難しい感情の「ひだ」を上手く表現して
読者に分かりやすく伝えているなと思いました。

僕が一番気に入った物語は「流行感冒」。
あらすじはともかく、下記のくだりがとても気に入りました。

「両方とも今とその時と人間は別に変わりはしないが、何しろ関係が十分でないと、いい人同士でもお互いを悪く思うし、それが十分だといい加減な悪い人間でも憎めなくなる」
 (分かりやすくするために旧書体は現代書体にしてあります)

いいコミュニケーションというのは、その意志があってはじめて成り立つもの。
もっとも、いいコミュニケーションが取れる人、を「いい人」というとしても、
お互いがよい人間なら無条件にいい関係が結べるわけではない。
お互いがよい関係を持とうという意志がなければいい関係は生まれない。

往年の文学作品はやはりいろいろと教えてくれるものが多いですね...