HDDレコーダに録れていた映画、「ココニイルコト」。
真中瞳の好演が光ります。
ちょっと不思議な物語。恋愛物語ともちょっと違う。
相手の男の人は死んでしまうのですがなぜか悲壮感は漂わない。
そして多くのことを与えてくれる映画だと私は感じました。
「人間は考える葦である。」
そのために時にいろいろ考え込んだり、不安になったりする。
そんなとき、どーすればいいのか。
そういう人が近くにいたとき、どう言ってあげればよいのでしょうか。
こー言えばいい。
「ま、ええんとちゃいますか?」
少し楽になれます。
人は一生「自分」という世界から抜け出せない。
他人が話す言葉も、他人が表現するデザインも、
自分の五感を通して入ってくる「情報」に過ぎない。
他人がどう考え、どう感じるか知ることは不可能なはず。
それができると思うことはエゴ以外のなにものでもない。
それなのに人はなぜ分かり合おうとしたがるのでしょうか?
自分の考えをもっと知ってもらいたいと考えるのでしょうか?
自分の表現するものを見てもらいたいと思うのでしょうか?
人とコミュニケーションをとる、ということは
いったいどういうことなんでしょうか?
それは「楽しい」から。楽しく生きたいから。
コミュニケーションはお互いの楽しみを交換すること。
そういうことではないでしょうか。
自分が知らないことを新たに知るのは楽しい。
自分の思いが他人に伝わるのは楽しい。
好きな人の肌に触れることはこの上ない幸せだ。
楽しく生きること、これは全ての人に共通する「願い」ではないのか。
自ら不幸な人生を望む人なんて基本的にはあり得ない。
でも時に人は本来の目的を忘れがちになる。
楽しく過ごしたいから一緒にいるはずなのにケンカをしたりする。
人に楽しみを与えたいと働いているはずなのに
仕事をするのがうんざりする時がある。
夢を持たない人間が人に夢を与えることができるだろうか。
自らが楽しんでない人が他人に楽しみを与えられるだろうか。
本来の目的を忘れてただ相手の全てを理解しようとする。
目先の仕事をただ機械的にこなそうとする。
そして自分が何のために生きているのか分からなくなる。
だから不安になったり、迷ったり、苦しんだりする。
そういうときは、ふと気持ちをリセットして、
「ま、ええんとちゃいますか」と言いましょう。
本来の目的がまた見えてくると思います。
うん、これでだいぶ救われた。
ただこれだけのことを世界中の人が実践するだけで
愚かな殺人事件や戦争などはなくなると思うんだけどなー...
(2006/02/07 drecomより移動、修正)

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