絶対は相対なのだ

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  道家にいう「絶対」は「相対」であった。

  ...中略...
 
  われわれは邪悪である、
  それはわれわれが恐ろしく自意識が強いからである。

  われわれは決して他人を許さない、
  それはわれわれが自分らの悪いことを知っているからである。

  われわれは良心を助成する、
  それはわれわれが他人に真実を語るのを恐れているからである。

  われわれは自尊に隠れ家を求める、
  それはわれわれが自分に真実を語るのを怖れているからである。

  世の中がすでにかくまで阿呆らしいものであるのに、
  誰がよくまじめに世の中に対することを得よう!

  岡倉天心『茶の本(The Book of Tea) 第三章「道家と禅」』


真理とはかくも姿の見えないものなのだ。
だから言葉で真理を直接表すことはできない。
言葉はただ真理へと導く「道」である。


茶道はその真理へと至る道の一つである。

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大学のゼミで岡倉天心の「茶の本」を読んでいます。

みんな内容が難しい、言ってることがよく分からない、と言います。
もちろん僕にとっても難しいし、言ってることもよく分からない。


でも。
それでも僕は天心の文章が好きです。

直接的な表現をせず、間接的に遠回しにまわりくどく、
ときには逆説的な記述もする。

でも。
それこそ日本の心だと思う。


日本がここまで経済大国に成長したのは、
単に西洋の合理主義を模倣したからだけじゃない。

世の中には理屈で説明できない真理もある。
東洋の文化はそんな真理を数多く発見してきた。
心地良いリズムで。


分かってなくても分かったようなフリをしていれば、
いずれ本当に分かるようになるもんじゃないかな。

...これも一つの真理だな。