雨降って地固まる

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毎夜、学校に通ってるわけですが。

まだ気分は若い、といっても一回り以上も離れた学生と話していると、
歳の差を感じずにはいられない。

そんなとき僕の印象として、
「大人の余裕がある」とか、「なんでもできそうに見える」とか
若い学生に言われることが時たまあります。

でも逆に僕は彼らの感性が羨ましい。
若い学生の作品はまとまりはないけど、広がりを感じる。
彼らの作品に比べて自分の作品がいかに広がりがないかを感じてしまう。
そこで僕は時たま自信を失くしかける。

でも僕は他人と競争する道以外に、
他人の良さを認め、受け入れ、吸収する道があることを知っている。
それも経験から学ぶこと。
別に特別な経験じゃない。数を重ねたぶん、深く身についただけ。
そして若い人から見ればそれが「余裕」に見えてしまうのでしょう。
当の本人にしてみればいつもいっぱいいっぱいなんですけどね^^;


一般学生と社会人学生。
お互いが持つものを対比できる環境。
それがこの学校の強みであるといえます。

僕が「なんでもできそう」に見えるのは、
単に「物事をまとめる」ことができるだけなのです。

それは特別な能力ではなくて、
それなりに人生を生きてくれば自然と身につく能力。

「なんでもできる」ということは、
「なにもできない」こととあまり変わらないと思う。

実際に「なんでもできちゃう」人はスーパーマンみたいにすごいわけで、
でも実際僕はスーパーマンじゃない。ごくありふれた人間。

それは「特筆すべきなにかがない」ということの代弁に他ならない。
そんな気がしてならないのです。

僕は自分の「特筆すべきなにか」を探しにこの学校に来た。
入学してまだ3ヶ月程度の今、「なんでもできそう」といわれるのはまだいい。
でも卒業する頃に同じことを言われるようではこの学校に入った意味がない。


「あいつはあれができるんだ」
...誰からもそう言われるようになりたい。

この学校では「なんでもできる、万能である」といわれるより、
「個性的だね」といわれるほうがよっぽど褒め言葉です。


若い頃はなんでもがむしゃらにできた。
まとめることよりも散らかしていくことで自分の限界を広げてきた。
散らかすから、整理整頓してまとめることができるわけで、
散らかさなければ、まとめる必要もないのです。


...というわけで若者は多いに散らかし、自らの可能性を探ってもらいたい。
その姿をみて、僕もパワーをもらうわけですから。

老体(...という歳でもないけど)に鞭打ってまだまだ散らかすぞ、
というパワーをね。