悩みのメカニズム

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『人間は大変だニャア...』

 ...とネコが思ってるかどうかはわかりませんが。


人は常に変化する。
しかし常に変化の中にいると、自分が変化していることになかなか気づかない。

ほんの2,3年前、僕は悩んでいた。大いに悩んでいた。
自分でその問題を片付けられないくらい悩んでいた。
そこで身近にいた友人に相談した。
そして僕はそのことでだいぶ助けられた。

そして今日、その友人と会った。

そしてふと。
僕は2,3年前ほど悩んでいない自分に気づいた。

そしてふと。
他人の言葉で傷ついて泣く人を見て、
他人の言葉では傷つかない自分を知った。

はたしてそれは良いことなのか、悪いことなのか。

...多分両方なのでしょう。

「頑固」ということは、人の意見を聞かないことだ。
それは他人の意見に付和雷同されない、という長所もあれば、
外からの情報を受け入れ、正しい判断をすることができない、という短所もある。
どんな性格にも一長一短はある。
その性格自体に問題があるわけじゃない。
まあ程度の問題はあるだろうけど。


相手が傷つくことはできるだけ言わないほうがいいのは当たり前。
でも言って傷つくかどうか分からない微妙な場合も世の中には多々ある。
しかしそれを恐れて言わないことははたして言うほう、言われるほうの
双方にとってためになるのだろうか。

そう問われると、僕はこれまでの自分の経験から、

 「言わないよりは言ったほうがいい。
  たとえ相手が傷つくとしても自分が言うべきだと思うなら。」

と思うのです。
それはエゴかもしれない。
でも自分のエゴと仲良くできない人間が、他人を大切にすることなんかできやしない。
これまた自らの経験からそう思うのです。

人に何かされたり言われたりすることで傷ついてきた人がいる一方で、
なにもされず、言われないことで傷ついてきた人もいる。


  ある親が自分の子供を育てなかった。
  子供を親の親、つまり子供にとっては祖父母にあたる人に親は子供を押し付け、
  親はどこかへ去った。

  親はその後子供になにもしなかった。
  そしてその理由を子供に一言も言おうとしなかった。
  祖父母に養育費くらいは渡していたかもしれないが、
  少なくとも子供は親にはなにもされていない、そう思っていた。

  子供はなにもされなかったことに傷つき、
  「なにもされない」ことに怯えるようになった。

  臆病な子供はなにをするにも勇気がなくてなにもしなかった。
  そしてなにもしないことで自分で自分を傷つけた。
  一方でその子供は頑固だったから他人からの言葉で傷つくことはなかった。

  頑固で臆病な子供は人になにかしてもらうことを頼むこともできず、
  また人の意見を聞こうともしないから、
  自分と外界の境界に厚い殻を作ってしまった。

  自分で自分の限界を勝手に決め、自らの可能性を限定してしまった。


外からの攻撃に傷つく人。
内からの攻撃に傷つく人。

どちらも傷つくことには変わりない。
それは不幸であり、変えなければならない現実。

外からの攻撃はその外的要因を取り除かなければならないし、
内からの攻撃はその内的要因を取り除かなければならない。

「内的要因」は自分のことなのだけど、自分を取り除くわけにはいかない。
つまりは自分を「変える」しかない。

だから僕は常に「なにかしていたい」。
なにもしないで傷つきたくないし、傷つけたくない。

でもやっぱり臆病だからね。
そうは思っても思ったとおりに行動できないときもある。

「なにかをしている」理想の自分と
勇気を出せずに「なにもできずに」いる自分とのギャップ。
それが今の僕の悩みの種。

一つ悩みを解決すればまた新しい悩みが生まれる。
でも2,3年前の悩みに比べたらとてもいい方向の悩みへと変化している気がする。

「悩みがないこと」が幸せなんじゃない。
悩みがあるから問題を解決し、物事をより良い状態へ導くことができる。
悩みの有無が幸か不幸かを決めるのではなく、悩みの質がそれを決める。

「なにをしたらいいのかわからない」という悩みほど不幸なことはなく、
「こうなりたい自分がいるけれど、まだまだそんな自分にはなれていない」
という悩みほど幸せなことはない。

「なりたい自分になった」瞬間は究極な幸せ。
しかしそれは結局一瞬で終わる。
人は満たされてしまうと虚しさを感じてしまう生きものだから。
だから次から次へと新しい悩み、新しい目標が生まれる。


だから僕は言おうと思った言葉はできるだけ口にする。
それはなんでもかんでも言えばよい、ということではなく、
もちろん、相手の気持ちを考えた上で。
でも言った言葉の判断は相手次第。
配慮しても相手を傷つけてしまうこともある。
しかしそれを繰り返すことでしか、
良いコミュニケーションは身につかない。


目標がある。
だから僕はいま幸せ。