感情の共有

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しばらく更新が空きました。

このブログの更新が滞る、ということは生活が単調になってしまっている、
ということに他ならない。良いこともなければ悪いこともない。

変化のない生活。
これほど孤独で退屈で不幸なことはない。

しかし。

しかし。

しかし...

しかしだ。

すべての変化を受け入れることは難しい。
人がみな違うことを受け入れることは難しい。

親友の結婚式がありました。
招待してくれたことを心から感謝しているし、また心から祝福しています。
これは本心です。


ここで「しかし」なのです。
変わっていく世界を僕は受け入れられないでいる...


なんでもかんでも人と同じでは個性はなくなってしまう。

しかし実際そんなことはありえない。
十人十色という言葉があるように人はみなそれぞれ違うのだから。


でも。
あまりにも違いするぎるとそれは「孤独」となり、不幸となる。

喜ぶべきところを喜び、悲しむべきことを悲しむ。
人はみな違うからこそ、同じ感情を共有したいと願う。
感情の共有ができてこそ、人は幸せになれる生き物なのだと思う。
自分はあまり感情を表に出せない人間なので
元来感情の共有がしにくい人間なのかもしれない。

今の僕には「感情の共有」ができない。
結婚は僕にとってはいまだに「失敗」の代名詞だし、
教会の十字架は裏切りの象徴だ。
このことをここに書くことを快く思わない人がいることも知っている。
だから最初は書くまいと思った。

しかしここにきて感情の整理がどうにもできなくなった。
わがままをお許しください。

他人との感情パターンとの差異のギャップがあまりにも激しいので
自分は病気なんじゃないか、と本気で思うことも最近ではしばしば。


僕の原罪は母を許せないことだと思う。
それが自分を許せない源となっている。
母と会うのが怖い。
それが僕の臆病の源になっている。
母を知りたい。
それが僕の知識欲の源になっている。
母を疑ってしまう。
それが僕の猜疑心の源になっている。

人の「つながり」の大切さを教えてくれる友人が近くにいるのに。

感情の共有をすることができない。
それがこんなに悲しいことなんて。