僕は感情表現が下手だ。
自分でもそう思うし、人にも時々指摘される。
嬉しいときに嬉しい、ということを相手に伝えるための表現。
悲しいときに悲しい、ということを相手に伝えるための表現。
どうもそれがちゃんと表現できていない気がする。
人が一人で生きることのできるいきものなら、
こんなことを気にする必要はまったくないのだけど。
相手とより良いコミュニケーションをとっていくために。
僕は豊かな感情表現ができるようになりたい。
時々自分は感情の量が人より少ないんじゃないかと思うときがある。
だから感情表現が下手なのかな、と。
でも感情の量ってどうやって量るの?
そもそも人は皆違うのだから、感情を絶対的な尺度で量れるのか?
嬉しい感情も悲しい感情も自覚できる。
大切なのは感情に鈍感にならないようすることじゃないだろうか?
嬉しいときは大きい声で笑う。
嬉しそうな顔を意識的にする。
眉毛を動かしてみるだけでも分かりやすい表現になります。
まあ、これは程度の問題でなんとかなりそうな気がする。
問題は「哀」の表現。
悲しいとき、ときに人は涙を流す。
しかし僕は涙を流すことに異常なまで抵抗を示す。
最近そんな気がしてなりません。
他人の視線を人一倍気にする性質なので、
人前で泣きたくないからかな、と思っていたのですが
最近一人でいるときも、泣くのを我慢しているような気がする。
なぜそう思うのか。
泣くのを耐えるとき、自分が必ずしている動作に気づいたから。
「つばを飲み込む」
人前でも、一人で悲しい映画を見ているときでも、
健在意識下でも、無意識下でもこの所作をしているようなのです。
出すべき感情を押さえ込むことは精神上良くないと思う。
だから僕は泣くべきときに泣ける人間になりたい。
そこで先日の「物事を習得する過程」が必要になるわけで。
現在僕は無意識下で「泣くことを押さえ込む」ということをしている。
それをやめて自然に泣くためには、悲しいときの感情表現を、
1.「無意識下でつばを飲み込まないようにすることができない」
2.「健在意識下でつばを飲み込まないようにすることができない」
3.「健在意識下でつばを飲み込まないようにすることができる」
4.「無意識下でつばを飲み込まないようにすることができる」
というステップで改善していく必要がるのです。
涙を流すことは恥じゃない。
人が人であるために必要な行為なんだ。
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