好きになるということ

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一目惚れ、というものをしたことがない。

どんなに外見が好みであっても、
はじめて話した感じがいい感じだったとしても。

それは心の根底に初対面の人間は警戒する、
という習性が身にしみついてしまっているからだと思う。
だから人と仲良くなるのに時間がかかる。
でも一度仲良くなった人間はだいたい長く付き合っていける。
これは最近自分の長所としてようやく自覚できるようになったこと。
人は自分の長所を自覚しなければならない。

一方で長所となっているこの部分が短所となっていることもある。

人を好きになることに時間をかけること自体は悪いことではない。
しかし、人を好きになるのに必要な本来の速度にブレーキをかけるのは、
けして好ましいことではない。

最近思う。
人を好きになることにブレーキをかけているんじゃないか、と。

駅で「あなたが大切だ」というAC公共広告機構のポスターをみた。

『「あなたが大切だ」誰かがそう言ってくれらそれだけで生きていける。』

この文句になぜか衝撃をうけた。
誰だって自分を必要とされたい。
誰かに自分が必要とされていることを感じたい。

最初にこの感覚を教えてくれるのは親だと思う。
自分の子供を親が不要と思うはずがない。
自分の子供を普通に愛してさえいれば、
親が子供である自分を必要としてくれていることは普通に自覚できる。

養父母だけど両親がいて、自分を愛してくれたことは感じられる。
でも一方で実父母に捨てられた、という感覚も根付いてしまっている。
「必要とされていること」を一番教えるべき人にしてもらえなかったことが
「自分を必要としてほしい」という思いをなおさら強くしている気がする。

だから人一倍人に嫌われるのを恐れる。
人の視線を人一倍気にしている。
自分が好きになった分、相手にも自分を好きになってほしいと思う。
でも世の中そんなに甘くない。というか普通そうじゃない。
だから相手になにかしら理由をつけて、嫌おうとする。
相手の悪いところを探したりとかする。たぶん無意識にしてしまう。
「僕はあなたをそんなに好きじゃないんだよ」って思い込もうとする。

例えば「あの子はかわいいけど八方美人だから」とか、
「あの子とは血液型の相性が悪いから」とか。
それが人を好きになるスピードにブレーキをかけてしまう。

やっぱそれはよくないよね。
もう一人の自分が言う。
もう一人の自分は人が好きで、たくさん人を好きになりたいって思っている。

人を好きになれる。それは一つの才能だ。
先天的に持っている人は幸せだ。
でも後天的でもけして身につけられない才能じゃない。

だから人を好きになる努力をしたい。