バランシング

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生きていくためにはバランスが重要なんだと最近よく思う。
バランスをとるために人は無数の選択をしている。

それは意識下ではもちろん、
無意識下においても本能で行われるものもある。
バランシングは本能の一種だと思う。

生きていくための本能として大きく二つあると僕は思う。
攻撃性と防御性。

生きていくためには糧をとらねばならない。
そのために狩りをする。
それが攻撃本能。

一方で外敵から身を守らねばならない。
そのために警戒し、用心する。
それが防御本能。

しかし社会という母体に守られている現代では
これらの本能は太古に比べると鈍ってきていると思う。
これはある意味危惧せねばならない事態だと思うのだけど
今日のテーマではないのでそれは置いといて。

この二つの本能のうちどちらが欠けても基本的には
生きていけないわけで。

生きていくために二つの本能がバランスをとっている。
それが生きていくための本能だと思うのです。

そこで自己分析。

僕はどちらかというと防御本能が強いタイプだと自分では思う。
まず臆病だ。それは危険を避けようとする心。
それが異常に強い。

家族というものは本来親が子を守らねばならないはず。
しかし幼少時代それをされなかった子供は異常に警戒心を増す。
自分で自分を守るしかない、と本能に刷り込まれるのだろう。

一方攻撃性という観点からいえば、
僕は生父母に見捨てられはしたものの、
祖父母のところで不自由のない生活を与えられていたので
それほど必要性がなかった。

しかし。
二つの本能のうちどちらかが異常に強いと、
生きていく上でのバランスが失われる。
そこでそれほど必要性がない攻撃性も異常に強い防御性に
合わせて強くなったように思う。

その証拠に僕は学生時代、異常に「強さ」に関心を示しました。
とくにいじめられていたわけでもないし、
ケンカに強くなる理由もなかった。

でも僕は中学生になって剣道をはじめたのと同時に、
高校生になって空手、なぎなたをはじめ、社会人になっても
合気道をはじめたりと、強くなることへの執着心は
とどまることを知らなかった。

でも本来防御性が強いので実際にケンカしたりすることは
皆無。けんかになる前に逃げる。
今にして思えば、極力争うことを避けていたように思います。

だから試合でもほとんど勝てることがなかった。
まあ実力がなかったのもあったでしょうけど。

合気道を10年以上やってきて、僕は争うことが嫌いなんだ、
ということにようやく気付いてきました。
本当は和合が好きなんだと。合気道はそれを気付かせてくれる
絶好の武道でした。

だから僕は競争への執着を捨てた。
一番になることの意味などないと思った。
もちろん全ての人に対してそう思うわけではありません。
自分はそういう人間だと思った。

そしてバランスをとることに執心することにした。
それが僕の生き方なんだと思います。
こういう生き方もある。

(2006/05/21 drecomより移動、修正)