目の前に小さな子供が座っている。
さて、どんな子供だろう?
いくつくらい?男の子?女の子?
どんな格好で座っているの?
その子は上を向いてる?下を向いてる?
あなたはその子をみてどう思った?またどうしてそう思うの?
そしてその子に対してどうしてあげたいと思った?
その子はあなたにどうしてもらいたいと願っていると思う?
...諸悪の根源がここにある。
年は5つくらい(物心がついた頃かな)の男の子。
チェックの長袖シャツを着て、半ズボンを履いたおかっぱ頭の男の子。
猫背でびくびくしながら悲しそうな表情で下を向いている。
その子供をみて哀れに思った。
見てはいけないものを見てしまった気がする。
その子供に何かをしてあげたい、と思うより、
その子供を視界から追い出してしまいたい、と思った。
その子供の願っていることは、
ただ抱きしめてもらって「大好きだよ」と言ってもらいたいこと。
本当に哀れだった。僕は泣きそうになるのをこらえた。
その子供は人前ではけして泣かない。
家に帰ってひっそり泣いた。
ホワット ア サッド ボーイ アイ アム !
(2006/03/25 drecomより移動、修正)
kuro
>その場では泣きそうになるのをこらえた。
知ってたよ。(笑)
そして、気をつけて思い返して欲しいのは、ただおーが一番良く知っているとおり、「なにか」の根源ではあるかもしれないけれど、彼は決して「諸悪」の根源ではないということ。
(※諸悪:多くの悪行・悪事。さまざまな悪。from goo辞書)
彼を視界から“追い出すこと”はむずかしいよね。
彼を見ないようにしよう、視界から追い出そうとすればするほど、彼は意固地になってそこから離れないかもしれない。まるでおもちゃ屋さんで、欲しいおもちゃを買ってもらえない時のように。
なぜって、彼はまだ子供だから。
けれども、無理やり“追い出す”ことはできなくても、どうしたら彼が自分の足で立ちあがり、そして自分の意思でそこから一歩踏み出し、成長することができるのかをただおーは知っている。
昨日、彼にそれをしてあげたときに、彼はどう感じただろうか?
彼はどんなふうにただおーを見ていただろうか?
そしてただおーに対してなんと言っただろうか?
彼は、また“そこそこ大人”のただおーの前に現れることがあるかもしれない。
そして、そのとき彼にしてあげられることを知っているのは、この世で「ただおー」ただ一人。
(だからただおーの前にしか来ないんだけど。 笑)
ただおー以外の人たちは、彼を見ることも感じることもできないから、彼に声をかけることもできない。
追い出すのではなく、まずは彼にもっと近づき、彼の表情を観察して、彼の声に耳を傾け、彼がどう思っているか感じてみよう。
さらに、彼が成長して自分の足で歩き出すにはどうしたらいいのか、一緒に考えてみてね。
そしたら“結果的に”ただおーの前から巣立っていくことになるかもしれないからさ!
あ、それから、彼はまだ子供だから、「人前で泣かないこと」を無理強いしてはかわいそうかもしれないね。
ただおーは“そこそこ”(年齢的に?)大人だから、まずは彼に「泣きたいときは、人前でも我慢せずに泣いてもいい」ことを教えてあげてください。
今日のコメントは長いよ。
(書いてから言うなと?)
(このコメントはオリジナルの記事へ2005年09月25日(日)に投稿されたものです)
tadaoh
> >その場では泣きそうになるのをこらえた。
>
> 知ってたよ。(笑)
僕も知ってましたw
> 「人前で泣かないこと」を無理強いしてはかわいそうかもしれないね。
そのとーりなんですがこの子はかたくなまでに頑固です。
笑いたいときに笑えて、泣きたいときに泣く。
それができればどんなに楽か、
僕が何度そう教えてあげてもけして泣こうとしません。
悲しいまでに頑な。
僕のなかの排除したい部分、
それを悪というならやはりこの子供は僕にとって諸悪の根源なのです。
(このコメントはオリジナルの記事へ2005年09月25日(日)に投稿されたものです)
kuro
>それを悪というなら
なぜそれを悪と言ってしまうのか…。汗
「世界じゃそれを愛と呼ぶんだぜ」
…呼ばないか。orz...
「排除したい部分」≠「悪」なんだけどな。
…といっても、ただおーが悪だと思いたいんだったら仕方がない。(笑)
自分の思考がすべて現実化するので、否定的なものの中にも、肯定的なことを「見出す」ことができたらいどうだろうね?
否定的に言うのも肯定的に言うのも自分。
あ、それから、過去や、自分の記憶や、自分の感覚を「排除」することはできないんだそうだ。
もしそうだとしたら…どうしたい?
(このコメントはオリジナルの記事へ2005年09月26日(月)に投稿されたものです)
tadaoh
> あ、それから、過去や、自分の記憶や、自分の感覚を「排除」することはできないんだそうだ。
> もしそうだとしたら…どうしたい?
泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑う、ただ素直になりたいだけです。
それを阻止するものは僕は「悪」と呼びたい。少なくとも今は。
そうでないと頭が混乱してしまうから。
悪があるから善がある。
それがたとえ排除できないものだとしても排除しようという意思がない限り
僕は前に進めない、変われないと考えています。
(このコメントはオリジナルの記事へ2005年09月26日(月)に投稿されたものです)