報告

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噂が先行して離婚の事実が広まり始めました。
結婚式に参列してくれた先輩から「噂を聞いたんだけど...」
と言われてやはりきちんと言うべきだと思いました。

別に隠していたわけではないんですが、やはり祝福してくれた
人には申し訳なさからなかなか言えずにいました。
でもやっぱり言わなきゃ、と思いました。それがけじめ、だと。

本来なら直接会って、もしくは挨拶状を出すべきなのですが
なかなかそうもできず結局メールで報告しました。

元気出せよ、と励ましの声もあれば我が事のようにショックだった、
と言ってくれた人もいました。
いずれにせよ自分にしてみれば肩の荷が少し降りた気持ちになりました。
でもその下ろした荷を多くの友人の肩に乗せてしまったような気がします。

離婚して少し大人になれた気はします。
しかしやはりしなくてすむものならしないほうがいいです。やっぱり。

二人が好き合う、ということ。
それは二人だけの問題ではない。
二人が分かれる、ということ。
それも二人だけの問題ではない。
どちらも最後に決めるのは二人ですが。

二人が分かれる、ということ。
それが二人だけの問題だ、と思っているうちは
たとえまた次の出会いがあったとしても
また同じ過ちを繰り返すだろう。

二人が出会うということ。
それは果たして偶然だけで起こり得ることだろうか。
もちろんそういうレアなケースもあるのでしょうが、
たいていはなにかしらのコミュニティの中で起こります。
例えば友達の紹介であったり、
サークルの中であったり、職場の中であったり。
そして基本的には当事者同士がコミュニケーションを深めていくことで
愛を確かめ合うのでしょうがそれでも時には友人に相談したり、
他人と別の話をしているときにふと相手に対する理解が深まる時もある。

結局のところ愛は二人だけで育てるものではない、ということ。
自分が接する身近な人全てが僕等の愛を育んでくれているということ。
それに気づくべきだということ。

僕等はそれに気づかなかった。いや、少なくとも僕は気づかなかった。
自分が苦しい時は自分が世界で一番不幸だと思っていた。
そしてそれは誰に言っても変わらないと思っていた。
自分で何とかすべきだと思っていた。
だから誰にも相談せず離婚を自分の意思で決めた。
それで正しかったと思っていた。

でもやっぱりそれは違う。
相談すれば必ず解決できる、とは相談する側もされる側も思ってない。
ただ解決することが大切なのではなくて相談する行為そのものが
大切なことだと思うのです。

なにができるわけでもない、なにかしてほしい、と願うわけでもない。
でも話せばなにか安心する。それが相談というものではないかと。
その安心が失いかけている愛を取り戻せたかもしれない。

離婚する前に一言相談してほしかった、と言って泣いた人がいた。
それを見て、聞いて、二人が分かれるということは
二人だけの問題ではなかったことにはじめて気づきました。

でもやっぱり僕は別れたことを後悔しない。
この別れで多くのことを学んだから。
話すことで失いかけていたものを取り戻せた気がするから。

「二人」でいるみなさんに言いたい。
「二人」でいられるのは「二人」だけのおかげではない。
「二人」に接する人全てのおかげだと言うことを。

僕は素晴らしき仲間がたくさんいることに気づいた。
相手もそのことに気づいているならば、
今度はずっといい「二人」でい続けることができるだろう。

(2006/02/17 drecomより移動、修正)