お互いを高めあうもの

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合気道、と一口で言ってもその教え方は道場によってさまざまです。
...とはいっても基本的に今の道場一筋の僕には他道場での教え方は
正直よく分からない。ただ、うちの道場に入門する人の中には学生の時分や
他道場での経験者が少なからずいます。そういう人たちと稽古をするとき、
ときたま他道場との違いを感じることがあります。


他道場経験者の取り(返し技)はとにかく痛い。


人間の間接はある一定の方向に決まった量しか動きません。
その可動域を越えようとするとき、間接に痛みが走ります。
合気道の関節技はこの人間の骨格の性質を利用して、
(逆間接を)"極める"ものなのです。

僕が感じる限りでは。
他道場経験者の取りは間接の可動域限界が来る前に痛みを感じます。
痛みを与えることを最優先に考えられた技なんだと思う。
相手に痛みを与えて戦意喪失させる、という護身術の観点では、
優れた手法なんだと思います。

しかし。
僕は護身術を学びたいんじゃない。
「和合」を学びたいんだ。

僕自身は相手が間接の可動域限界まで動かせるよう心がけています。
限界を越えるまでは全身をリラックスさせ、痛みを感じさせないようにする。
限界を越えた時点では確かに痛い。
が、そこに至る過程は一種のストレッチをしているような気持ち良さがある。
そして可動域限界まで間接を動かすことを繰り返すことで実際に
間接の可動域が広がり、関節が柔らかくなります。
これをお互いに繰り返して稽古することでお互いの限界を引き伸ばし、
お互いを高めあうことができる。

一人でやることには限界がある。
二人でやればその限界を越えることができる。
それが「和合」ということなんだと思う。

護身術が悪いとはいわない。
でも護身術は「悪い輩に対処する」方法なのに対し、
「和合」は「悪い輩を作らない」方法なのだと思う。

どちらが先進的で、どちらがポジティブか。
いうまでもないことですよね?


だから僕は「和合」を学び、実践する。