[階段を降りる裸体No.2(1912年)](画像は大塚国際美術館の陶板画)
[「階段を降りる裸体No.2」に刺激されてとっさに作ったわが駄作]
大学の一般教養の授業科目「社会と芸術」でダダイスムを学びました。
産業革命により科学が格段と進歩する一方で、
戦争により人類が被る被害も大きくなった。
そんな時代背景で既存の理性、文化、社会体制を否定するダダイスム。
最初トリスタン・ツァラやハンス・アルプ、アンドレ・ブルトンらの
宣言文や詩などを聞かされていたのですが、無秩序で無意味でまとまりがない。
なにがなんだかわけが分からなくて、興味を持てないでいたのだけど、
絵画・オブジェ作品をスライドで見はじめて興味がむくむく。
やはり何かを伝えるのに言葉だけではダメで。
絵画やオブジェの重要性を今更ながら理解できたような気がします。
一番おもしろいのはやはりマルセル・デュシャンの作品。
そのデュシャンの「階段を降りる裸体」に感化されてイラレで
とっさに作ってみたのが上記の画像っす。
社会には秩序が必要。
でもその秩序の重要性を知るには、無秩序がどういうものかを理解しなければ。
ダダイスムはそのために存在したんじゃないのかな、と自分的には思うのです。
ダダイスムの概念の一つに「レディーメイド」という言葉があります。
デュシャンの「泉」のように便所の便器を、便所以外の場所に出したら。
それはもはや便器ではなく、たとえば展覧会の作品として出品したならば、
それはもはや便器ではなく、一つの作品なのだと。
このことはデザインの概念を如実に現してるんじゃないかと。
デザインされるものが全くのオリジナルかどうかが問題じゃなく、
環境とデザインされるものの関係をどう設定するか。
そこがデザインのポイントだと思うのです。
もちろん著作権の軽視や、盗作を奨励するわけではありません。
あくまでデザインの本質を見出すためヒントとして考えてほしいわけで。
上記の画像も一つ一つの線や図形、テクスチャはイラレであらかじめ
用意されている各種ツールを使ってるわけでその意味においては
これも「レディーメイド」といえるのかも。
ゼロから新しいものを作り出そうとするから難しくなるわけで。
まずは身近にあるものから模倣することからデザインははじまる。
だからデザイナーはみんな最初にみんなスケッチやデッサンをするのでしょう。
(自分はほとんどしてませんが^^;)
模倣によりとにかくゼロを"1"にする。
そこからはイメージ力。
イメージ力によって1を10にも100にもできるのだと思います。