スケッチの妙【山中俊治】

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:


デザインの骨格』より


最近プロダクトデザイナーの山中俊治さんのブログ「デザインの骨格」の存在を知ったのですが、
氏の素晴らしいスケッチの数々に惹かれてます。

グラフィック・デザイナーだってここまでキレイに描ける人はいないってくらい。
スケッチだけで作品集を出してもいいんじゃないかってくらい。

前に購入した山中さんの作品集「機能の写像」にもスケッチ・ワークはあるけれど、
やはり実物がメインになっていて、スケッチは控えめ。
スケッチメインの作品集が一冊あってもいい気がします。


氏のスケッチが他のグラフィック・デザイナーとは違った魅力を感じるのは、
そのスケッチが「視点を変えて眺めたい」と思わせること。
3Dデザイナーならではのスケッチであり、
その魅力がすなわち3Dデザインの魅力そのものではないだろうか。



大学の課題で空間や建築をデザインする際、
そのスケールのでかさゆえに実物を作ることがほぼ不可能であるため、
作品としては模型と図面とパースの三点セットが基本形態となります。

いずれも実物に代わってその魅力を伝えるためのものですが、
模型をのぞく二点は形態そのものがグラフィカルなもの。

よくできたCGは確かに本物の写真と区別がつかないほどの精巧さを持つ。
しかしよくできているだけに、
それがグラフィカルの良さなのか、空間の良さなのか時々分からなくなる。
そしてグラフィックの上手さで騙してないか、という猜疑心を持つことがある。

そういう心情があるせいか、
自分はCGを入念に作りこむことに集中できない。
ざっくり大雑把程度でいいのかな、という気持ちがどこかにある。
単にCGを上手く作れない言い訳かもしれないけど、
CGに対してそういう疑問を感じているのは確か。

だからCGを見るよりは模型を見たいし、CGを作るよりは模型を作りたい。


図面はテクニカルな側面を持つものなので、
ある程度共通なスケールでジャッジが出来るのに対し、
パースはエモーショナルな側面を持つものなので、
なかなか共通なスケールでのジャッジが出来ないのではないだろうか。
上手ければよい、という単純な問題ではない気がするのです。


そういう心持ちでいる中、山中氏のブログに出会ったわけなのですが、
心に残る言葉がいくつかあったので引用させていただきます。


スケッチに込められる動きは、必ずしも描かれる対象の動きではない。むしろ、観察者の動きこそが込められる。・・・私は一枚のスケッチに観察者の動きを入れることを試みます。それは、自分が動いたときに現れるであろう変化とペン運びとの関係を意識することです。...(中略)...CADを使えば、光の変化をシミュレーションしながら、立体を自在に回転させられる現在、こうしたテクニックに、どれほどの意味があるのか。それを問うのは野暮っつうもんです。(『スケッチに込められる動き』)

見る人の視点が意識されているから、視点を変えて眺めてみたい、
と思わせるものが出来るのだろうか。

CGのパースの中で「視点を変えて眺めてみたい」と思わせるものは非常に少ない。
その点ではやはり模型の方が有利のような気がします。

それを手書きのスケッチでやってのける山中氏はやはりタダモノではない、
ということなのでしょう。


形を描こうとしてはいけない。構造を描くことによって自然に形が生まれる。(『形を描こうとしてはいけない』)

この言葉は自分に自信を与えてくれるものでした。
形にこだわる自分が、構造に興味を持つことは自然なことなのだ、と。


私はしょっちゅう上のような絵を描いています。これは、スケッチのためのウォーミングアップです。バッターボックスに立つ前の素振りかな。...(中略)...始まりも終わりもない悠久の円運動を作り、その一部を紙に定着させる。このテクニックは私が最初に覚えたデザイナーの技になりました。今でもスケッチを描く前には、初心に返って、一枚の紙を楕円で埋めつくすことから始めます。(『楕円』)

驚くべきはこの記述が若かりし頃のものではなく、ごく最近のものであること。
大成された今もこうして地道にスケッチの訓練をされている。
それが今も魅力的なスケッチを生み続けている所以なのでしょう。

いつまでも驕ることなく努力し続けることの大切さを教えてくれます。


視点をいろいろ変えて眺めたくなるような、
空間やプロダクトを作るためのヒントを与えてくれた気がします。

もっともっとスケッチそのものの練習をしなきゃ。