卒業制作中間審査まであと4日。
空間を意識できるスケールでの基本ユニット完成後、スタジオで写真撮影。
写真写りを良くするために模型をラッカースプレーで白く塗装。
スタジオといってもうちのキャンパスにはそれほど充実した設備が
あるわけじゃないけれど、それでも障害物がない空間が用意されているだけでも、
できあがる写真は僕のような素人でもそれなりに良くなるので有り難い。
ブログをやるようになり、美大に入ってからはさらに写真を多く撮るようになったけど、
いまだにカメラ機材や、撮り方の技術などにはとんと無頓着。
ソニーのα100のAutoモード、オートフォーカスで三脚なんかもほとんど使わない。
最近になってようやくレンズを変えてみたいなあ、と思うようになったけれど、
極貧状態の今の状況ではそれも叶わず。
写真撮影後は、発表時のパネル作り。
規定はA1サイズ2枚以上。
が、実際はプロジェクタによるパソコン上のデータでのプレゼンメインになるため、
会場内は暗く、審査員もほとんど見ることがないと思われるのだけど、
どうやら慣例というだけで用意しなければならないらしい。
印刷代は無料とはいえ、A1ともなるとパネルだけでも1枚1000円ほどかかる。
けっこう痛い出費。
ほとんどポスター感覚で仕上げて印刷依頼。
週明けにはできあがる予定。
これをハレパネに貼るのがまた大変なんだな。
あとは当日のプレゼンデータの準備。
ゴールをある程度明確にしておかないと、
審査員の先生たちに自分がやりたい意図が伝わらないからなあ。
自分でもまだはっきりゴールが見えていないだけに、悩みどころである。
グラフィック表現は苦手だし。
ねじれの反復によるこの造形が社会で果たす機能、役割とは何か。
積み重ねてタワー。
変電タワーの新しいかたちとしてどうか。
水平に並べて...
たとえば、高速道路の料金所、バスステーションなどはどうか。
オーソドックスに柱や壁としての構造体。
あるいはゲート、あるいはパーティション。
さらに組み合わせて「森」へ。
あたかも「迷宮」がごとく。
木材での基本ユニット。
本来はDNAのごとくねじれの反復が人間にとって本質的な「かたち」ではないか。
それを人間は自らの叡智で自分たちの世界を直方体の「箱」にした。
それも「人間らしさ」なのかもしれないけれど、
自然の一員、という観点においては逆に人間らしくない、とも言えないだろうか。
箱形の現代都市にこのような「ねじれの反復」を置くことで、
2つの「人間らしさ」のバランスを取る。
...それがこの卒業制作で目指したい表現なのかもしれない。