一週間経過

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大学4年生がはじまって一週間が経過しました。


4年生は卒制のみ、ということもあり、
3年生までとは違って、きっちりした課題があるわけでもなく、
今のところは先生も週1回しか来ないので、比較的のんびりしたスタート。

共通教育科目もすでに必要単位数をクリアしているので、
今年は授業をとらなくてもいいのだけど、
自分でお金を払っている、というケチ心が、
今年も何か受けておきたい、という気持ちにさせる。

かといっていまさら語学を習う気もなく、
(スペイン語とかなら習いたいけど)
他に新しい先生の科目をとりたくなるほどの魅力的な科目もないので、
ここまで来たら中村先生の授業を全部とっちゃえ、と。

上野毛での先生の授業コマ数は5つ。
毎年1コマずつとってきて、残りは2つ。
その2つの授業を今年はとることにしました。


水曜日は健康診断。
久々に平日昼間の大学に出向いたら、見事な桜が満開。
思えばこの桜も見納めなんだよなあ。

来年の今頃、僕は新しいスタートがきれているのだろうか。

3年生までは将来のことなど先生や同級生の間で話題にものぼらなかったけど、
4年生になると、話題はだいたい進路のことばかり。
どんな会社を受けるだとか、どんな仕事に就くのが良いだとか。
会社説明会帰りのスーツ姿の同級生の姿を見るにつけ、
またまた取り残されるような気がしてならない。


でも大きな会社の社員だけはもうゴメンだ。
安定は他人から与えられるものではない。
安定は自分で築くものだ。
理想的な安定とは、何もしない、という受動的で静的な状態なのではなく、
不安定状態を積極的に調整して安定状態を得る、
という能動的で動的なものなのだ。

他人から与えられる安定は、一見安定しているようでも、
自分でコントロールしているわけではないから、
いずれコントロールが効かなくなる。

そして大きな組織、という場所はその大きさゆえに、
社員のコントロールが行き届かなくなりがちで、
社員自体も会社に守られている、という安心感から、
自ら動くことをしなくなってしまうのである。
...かつての僕のように。

もちろんすべての人がそうなる、と言いたいのではなく、
逆にそういう人はマイノリティかもしれないけれど、
大会社にはそういう罠も少なからず潜んでいる、ということを言いたいのである。


「起業したら?」

今の自分の状況を説明したら、先生がさらりと一言。
実に簡単に言う。

起業するにも具体的に何をするかも見えてない。
起業するにあたって先立つものもない。
なにより起業する、という思い切りの良さが僕にはない。

プロダクトと建築、という二本の柱の間で揺れている僕が、
とるべきベストの道は何なのだろう。


このブログを通して、今年この大学に入った、という人に会うことができた。
僕と同世代で、僕と同じように他人から与えられた安定から脱出しようと
もがいているようだった。

不器用さゆえに、自分に自信がなく、臆病がゆえに手が動かせない。
そんな自分が許せず、自分を嫌っている。
そんな自分をなんとかしたく、「自分」で動くための目標を探しに来た。

...まさにかつての自分ではないか。


いまだに迷い、自己嫌悪に陥ることも度々だけど、
僕は入学した頃の自分より、今の自分が好きだ。
そして自分が思う以上に自分は手を動かせることにも気づいた。
自分を信じ、自分を好きになることの重要性に気づくことが一番大事なのだ。
それができれば技術や実績は自ずとついてくるはず。

その人もそうなってくれると嬉しいのだけど。

ただ、その人から話を聞いてみると、どうやらカリキュラムががらりと変わったらしい。
かつては1年次からの選択課題がなくなり、
デッサンやイラレやフォトショップなどのPCスキルといった基礎カリキュラムを
一律必須で受けるみたいです。

まあ時勢も時勢だし、学生のスキルが年々下がっていることへの対策なんだろうけど、
それだと専門学校とあまり変わらない気がするなあ。
最初から専門性を確定させず、まずは自分の好きなものを探せるところが、
この大学の最大の魅力だと思うんだけどなあ...

たぶん、僕がこのカリキュラムで学んでいたら、
形への魅力も、構造への興味も、ものづくりの面白さにも、
気づくことはなかったのではないだろうか。

そういう意味では、この大学はよりグラフィック・デザインよりになっている気がする。

もちろんスペースだって、プロダクトだって、グラフィックが重要なのは分かる。
しかし、グラフィックだけでスペースやプロダクトはできない。
次元が1つ増えるのである。
その増える部分を教えるのが重要ではないのか。


...まだまだ迷う。
しかし、迷うこと自体は悪いことではない。
迷いながらも動いてさえいれば、いずれどこかへ行き着く。
問題は、迷うことで止まってしまうことだ。
止まってしまえば、もう後はどこにも行き着かない。


とにかく動き続けることだ。

それが「生きる」ということなのだから。