作るものが決まって。
次のステップ。
どんな素材を使って、どのように加工するか。
一口に樹脂といっても自然素材の特性を生かしたものから、
プラスチックなど科学の粋を活用した人工素材までさまざまなものがありますが、
今回僕はアクリル(プラスチック)を使おうとしているので
後者の人工素材としての側面について主に取り上げます。
先生も認めていたけど、樹脂という素材は魅力ある素材とは言い難い。
自然からは遠く離れ、再利用も難しい。
木のような使えば使うほど味が出る自然材と異なり、
使えば使うほど薄汚れていくけれど、自然分解させることもできない。
プラスチックはまさに20世紀近代化のために、
目の前の利益に囚われて生まれてきた素材で、
人間のエゴを象徴する素材だと僕は思う。
身の回りには樹脂製品があふれているけど、
長く愛着を持てるものは実に少ない。
21世紀以後残っていく素材をものづくりの人間は
これから考えていく必要があるけれど、
それには20世紀の素材を知っておく必要がある。
...それが今回のセッションの存在意義のような気がする。
今回はアクリルの透明性を利用して、光の効果を検討する。
視覚により三次元を知覚し、本質的な「喜び(幸せ)」を感じる。
「便利さ」よりも見て触ることで感じる「幸せ」。
...自分はそういうものを作りたい。
モノとしては照明器具になるのだけど、
明かりをとる、という機能よりも、
光が当たることで浮かび上がるイメージによるメッセージみたいなものを考えたい。
言ってしまえばオブジェクトのようなものだけれど、
アートのように単一のものではなく、
あくまで複製(量産)できるデザインとして制作することを想定します。
まずはスチレンボードで模型作り。
造形そのものは去年の課題を応用するので新規性はないけれど、
それを照明としてどのように光を当て、構造としてどのように支えるか、
などを検討しなければならない。
三人集まれば文殊の知恵。
ものづくりに強い先生が三人集まっているので、
強力にバックアップサポートしてもらえそうなのですが、いかんせん時間がない。
根がぐうたらなので家では作業にならない。
ということで今日は先生の来ない日だけど、学校に行って模型作り。
教室には誰も居なくて僕一人。
一人寂しく黙々と作業に集中。
おかげで作業は順調に進み、模型も無事完成。
もともとこの造形は別の図形を製図していて、
何の気になしにその図形の切り取り跡を繋ぎ合わせて生まれた偶然の産物。
車輪(有)は中央の穴(無)があって車輪として在る。
いわゆる荘子の「無用の用」ですが、
この造形もそんな「無」のそばに何気なくあった「有」を見つけたことで生まれた。
「無」はさまざまな「有」を含む。
「有」は「無」から生まれるのではなく、「無」のそばにただ「在る」。
それを見つけることが「モノを作る」ってことじゃないのだろうか。
今回の模型のパーツを切り抜いた跡、つまりは元々は「有」だったけど、
今となっては「無」となった部分。
それを何の気なしに並べてたら「鳥」ができた。
直線で構成された三角形を少しずらして並べるだけで曲線的な造形になる。
すべての有機物は無数の無機物からできている、ということを感じる。
一度は「無」になったものが再び「有」になった。
「無」と「有」は表裏一体。
無は全てのものを含む混沌としたカオス。
そこから秩序を取り出し整理することが「有」なのか。
そこからさらに「無」に帰すことが「悟り」だと荘子は言うけれど。
一方で「無」から「有」、「有」から「無」、「有」から「有」への
絶え間ない両者の流れ、両者の関係こそが「悟り」だと仏陀(仏教)は言う。
...基礎教育科目と専門科目がうまく融合してきている気がする。
あとは学びと生業がうまく融合してくれればいいのだけど。
...でもそれもすでに融合は始まっている。
不安は尽きないけど、前に進むしかないね。