アクリル・フィン1

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2年生最後の、PDコース最後のセッションがはじまってます。

「素材を学ぶ/カタチを学ぶ」というタイトルで、
テーマは「作りたいモノ」。

作らされるのではなく、自ら作りたいモノを考え、製作します。

材料に樹脂素材を使うことが与条件となっています。
(他の素材との組み合わせ可)


担当講師はものづくり系のお三方、と豪華。
PD系最後の授業としては申し分ないセッションなのですが、

...いかんせん時間がない。
あと10日ほで完成させねばならない。


しかし作りたいモノは決まった。
...今回も全力で頑張ります。


毎回最初のアイデア出しで苦労するわけですが。


  「好きにやっていい」


こういう自由なテーマほど逆に選択肢が多くてさらに迷うわけです。


それでも僕は比較的早めにアイデアを決めちゃう方で、
ぎりぎりまで悩む同級生からは羨ましがられたりするのだけど、
そういう人に限って良いモノを作りあげたりして、
自分が凹むこともしばしば。


でもまあ僕は「作ること」に妥協はしたくないし、これまでもしてこなかったし、
他人の評価はどうあれ、作りあげたモノにとても満足しています。


今回は1年生の時に作った模型をベースにします。
ちょっと反則だけど、まあ時間もないし、
なにより「自分が作りたいモノ」に変わりはない。


  「(機能的に)なにか便利なモノ」
  「(機能的に)なにか面白いもの」


こういう視点でアイデア出しをすると、
僕の場合、たいがい良いアイデアは出てこず、煮詰まっちゃう。

世の中は便利なモノであふれてるし、
「面白いもの」はいずれ面白くなくなる一時的なものだから。

自分はどんなものが欲しいのか。
モノの形や素材感、そこに本質的に惹きつけられるものが欲しい。
そういうものを作りたい。

本質的に「美しい」ものは自ずと優れた機能を恒久的にもつものだと思う。
「本質的に美しい」こと自体が恒久的な優れた機能なんだから。
便利だから愛着を持つのではない、愛着があるから便利に感じるんだ。

だから僕は造形にこだわり、触り心地にこだわりたい。


「無」から「有」のものを作り出せるのは神だけだ。
人間はすでにあるものをただ組み合わせて最適化するだけ。
だから僕は「クリエイター」という言葉に抵抗感を感じる。
散らばっているものを、隠れているものを整理(arrange)し、調整(adjust)する。
だからアレンジャーとか、アジャスターというほうがしっくりくるかも。

過去の良いモノを参照することはものづくりの原点ではないだろうか。
ただ自分の「想い」なく、ただ引っ張ってくるだけでは
それは「模倣(ミメーシス)」に終わる。

過去の良いモノに自分なりのエッセンスを加えてアレンジする。
それがものづくりというものではないだろうか。

過去の良いモノを参照するとき、
僕はできるだけ時間的にも距離的にも遠くのものを参照するようにします。
自分に近いものだとみんな似たようなものが出来上がる気がするから。
まあこの考えには賛否両論あるのだろうけど、
今のところ自分にとっては良い方向に作用してるので良し、としてます。


モノの作り方を知らなければ良いモノをデザインなどできない。
作ろうとするものが現実に存在させられるかどうか。
それを見極めて造形化していくのがプロダクトデザインなのだから。
そうでなければグラフィックデザインの領域を出ない。


「作る人は別の人がやるのだから、デザイナーはものづくりができなくてもよい。」


はたして本当にそうなのだろうか。
ハードを知らずして良いプログラムが書けないように、
モノ(の特性や加工法)を知らずして、良いデザイン(機能、関係性)はできない。


自分の中で答えは出た。
あとは実践して自分の考えが正しいことを証明していかなきゃ。