広島県福山市のお寺のミュージアム「神勝寺 禅と庭のミュージアム」後編。
後半は前半の賞心庭をさらに上っていった無明院を中心としたエリアを紹介していきます。
賞心庭を抜けて五観堂、鐘楼門、花紅苑、秀路軒、竹径、一来亭などの
建屋、庭園を経て無明院へと至ります。
無明院は1977年に建立された神勝寺の本堂です。
建立者が実業家だったせいか外観は一見して伝統的な寺社スタイルですが、
鉄筋コンクリート造りで三百畳の広さの本堂はピロティで持ち上げられて、
一階部分は駐車場となっているなど、近代的な要素の目立ったものとなっています。
古来からの寺社のように積み上げてきた歴史がないぶん、
外から良いものを貪欲に取り入れることで、独特の魅力が形成された。
賞心庭の奥へと進んでいきます。
五観堂。
元々は僧侶が日常生活を営む庫裡。
現在は名物神勝寺うどんが食べられる食堂となってます。
鐘楼門。
花紅苑(庭園)
秀路軒
表千家を代表する書院「残月亭」及び茶室「不審菴」を中村昌生氏の設計により再現。
中に入りたかったのだけど、800円払ってお茶をいただく余裕がなく、やむなくスルー。
竹径(庭園)
一来亭
千利休が目指したわびに徹した極限の一畳台目の茶室。
現存する史料を元に中村昌生氏の監修で復元。
秀吉に重用される様になってからは秀吉が狭い一畳台目を嫌ったためあまりなく、
この一畳台目の茶室は貴重なものらしい。
露地。
外腰掛。
よく見ると座が抜けている。
オフィシャルサイトを見るとこの茶室は有料で貸出しているとのこと。
それならちゃんと手入れくらいはしておいてほしい。
佗びは「朽ち」ではないはず。
蹲居(つくばい)。
素人目には小さすぎてとても実用的とは思えないのだけど、
わびの極限とはこういうものなのだろうか。
躙口(にじりぐち)。
格の高い人も低い人もすべての人が頭を下げて入る。
茶に対して謙虚な気持ちになることが大切。
茶室。
一番のメインの部屋が一番狭い部屋。
訪れたときはここが茶室とは分からず勝手口だと勘違いしたほど。
借景が美しい。
最小限の宇宙は目立たず、ひっそり佇む。
瞎驢庵
瞎驢(かつろ)とは「めくらのろば」のことであり、禅宗では「勘のつかめぬ者」という意味らしい。
どことなく悲しげな目をしているような気がした。
寺の一番奥に佇む無明院。
作庭家・中根金作による庭。
「無明の庭」「阿弥陀三尊の庭」「羅漢の庭」と呼ばれる3つの庭があります。
莊嚴堂。
この荘厳堂の中に白隠コレクションが展示されています。
[莊嚴堂]
「荘厳」は、「智慧や福徳などの善美をもって、身やその住む国土を飾ること」。
白隠は「仏国土には金銀で飾った壮麗な建物があるわけではない、仏国土は菩提心をもった菩薩によって荘厳されるのだ」と言っている。(莊嚴堂パンフレットより)
[劍銘]
私には一ふりの宝剣がある、それは鉄ではない。磨かなくて、キラキラと雪のように白い。この剣の気は雲を衝いて、その光は全世界を照らす。この剣が吼えれば獅子の声となって、百獣もみな肝をつぶす。敵国もみな降参する。・・・剣は臨済禅の象徴でもあり、ここでは「一心」そのものになぞらえている。」(莊嚴堂パンフレットより)
[半身達磨]
禅宗用語。真理は自己の心の外にあるのではなく、自己の心のなかにこそ発見される、真理であるその自己の本性をみるならば、仏となることができる、という意。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)
[おふじさん]
おふじさん 霞の小袖ぬがしやんせ
ゆきのはだへが見度ふござんす
どでかい本堂。
内部はお寺というよりは集会所みたいな。
見事な龍の襖絵。
浪切堂。
堂内で火を焚き様々な供物や護摩木を火中に投じて祈祷を行う護摩堂。
本尊として波切不動明王を祀っているのでこの名がついているそうです。
波切不動明王は弘法大師空海が海上安全を祈願して彫ったもので、
空海が帰国の途の折に海の嵐に遭い、この像に祈念したところ
「荒波を切り開いて」無事乗り越えたことからこの名がついたとか。
保久利堂。
「保久利」とは万葉言葉で、完全・円満・安穏を意味する言葉。
死ぬときは苦しまずに「ぽっくり」往生したい、というのと同時に、
現世でも安穏なるときが過ごせるように、と二世の安楽を願う場なんだそうです。
安楽堂。
分骨堂。
【Information】オフィシャルサイト
アクセス:JR福山駅から鞆鉄バスで30分、 福山駅から車で25分
拝観時間:9:00〜17:00(最終入場は16:30まで)
拝観料:大人1200円、学生(高校生以上)900円、中学生500円、小学生以下無料
※注意!:本来は仏に祈りを捧げる神聖な場所です。
宗教に対する真摯な気持ちを持ち、節度ある行動を心がけましょう。