四国八十八ヶ所霊場第五十一番札所、熊野山 虚空蔵院 石手寺。
時は奈良時代、伊予の豪族・越智玉純が霊夢により熊野十二社権現を祀ったのを機に、
聖武天皇の勅願所となり、行基が薬師如来を刻んで本尊に祀って開基した。
この時の寺の名前は「安養寺」であった。
平安時代に衛門三郎という長者がいた。
ある日、托鉢の僧を弘法大師と知らずに托鉢をとり上げ投げつけたところ、鉢は八つに割れた。
以後三郎の八人の子どもがことごとく死んだ。
三郎は改心し、大師を探して四国巡拝の旅に出るが、出会えぬまま病に伏してしまう。
その時、枕元に弘法大師が現れ、「衛門三郎」と刻んだ石を授けると、
三郎は安堵して息を引き取る。
ちなみにこの時の巡礼旅が四国遍路のはじまりであり、衛門三郎はその開祖とされています。
その後、地方豪族の河野息利に男子が生まれたが、右の手を握ったまま開かないので
この寺に願をかけたところ、手の中から「衛門三郎」と刻まれた石が出てきた。
そこでこの石を当山に収め、寺号を安養寺から石手寺に改めた。
...由来を聞くだけでもなかなか奇妙な感じのお寺ですが、その実態もなかなか。
それはまさにカオス。
通常これほど大きな寺社ならば、境内マップがあって、
それぞれの建物にもそれなりの説明文があるのだけど、ここにはそういうものがほとんどない。
なので、いきなり行くと正直ワケが分からない。
一度行って、帰ってネットでチェックしてみると、
見逃しているのがいくつもあって、もう1回行き直しました。
Wikipediaによれば、石手寺には国宝の仁王門をはじめ、
重要文化財7件、県指定有形文化財、市指定有形文化財など多数、
そして屋内外問わずいたるところに仏像が置いてあります。
以下順路に沿って紹介していきます。
正面に立つ黄金の弘法大師
光ってます。
そのそばには騎龍観音。
国立近代美術館で見かけた原田直次郎の「騎龍観音」の絵と、
中島みゆきの「♪銀の龍の背に乗って〜♫」という歌詞を思わず思い浮かべてしまった。
原田直次郎「騎龍観音」(1890年)※出典:Wikipedia
「渡らずの橋」
寺の正面には水路が流れていて、中央には橋が架けてあるのですが、
なぜかその上をさらに橋を渡して渡れなくしてあり、渡ることができません。
渡ると脚が腐る、という言い伝えがあるらしい。
それでこの橋を渡れないようにしてあるのだろう。
橋の上にはお大師様が立っています。
その向かいには許しを請う衛門三郎の像。
托鉢をとりあげただけで8人の子を死なせる、というのも厳しい罰だなあ。
「えひめ」の像
「懐古壱予望楼」という名前の櫓
参道を進む。
参道の右側には伊予十三仏霊場の一つ、地蔵院。
子育て地蔵尊が祀ってあります。
国宝の仁王門。
国宝だというのにこの寺ではあまり存在感がない。
それだけこの寺にはほかにもいろいろありすぎるんでしょうが、
国宝としての説明看板もなければ、門の周囲にいろいろ置きすぎ。
言われなければこの門が国宝であることに気づかないでしょう。
仁王像(愛媛県指定有形文化財)。
巨大な大草履。
仁王門そばの福の神
仁王門上の仏画
仁王門入って右側には本殿。
茶堂とも言うらしい。
別に本堂もあるのに本殿、って。
「本堂」と「本殿」、何が違うんだろ。
重要文化財の三重塔。
このお寺には鐘が二つあります。
まずは重要文化財に指定されている鐘楼。
誰でも突くことのできる「仕合せの鐘」。
仁王門入って左側には阿弥陀堂。
阿弥陀如来。
日本の寺らしからぬ外観の愛媛パゴタ。
第二次世界大戦におけるビルマ戦で亡くなった方々を追悼する仏塔だそうです。
釈迦堂。
もう荒れ放題。
...上段部へとつづく。
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