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2007年10月 6日

羅生門【黒澤明】

文学

羅生門 デジタル完全版 [DVD]


大学の講義で鑑賞。

往年の名作、黒澤明監督の「羅生門」。原作は芥川龍之介。
日本映画で初めてヴェネツィア国際映画祭金獅子賞および
アカデミー賞外国語映画賞を受賞し、
黒澤監督を一躍「世界のクロサワ」たらしめた名作中の名作。
三船敏郎、京マチ子主演。


土砂降りの羅生門下に集まった三人の男たち。
とある事件の真相を語ることで人間の内に潜む醜さを見出していく。

それでも人は人を信じて生きていかなければならない。



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とある山中で検非違使が殺される。

死体の第一発見者である杣売り、
数日前に検非違使とすれ違った坊様がまず事情聴取を受ける。

その話から、犯人として多襄丸という盗賊が浮かび上がり、
逮捕され、取調べの前で語った真相は...

そして同行していた検非違使の妻が見つかり、
彼女が告白する事の真相は...

そして殺された検非違使の魂が巫女に乗り移って
語った事の真相は...

三者三様どれも内容がかみ合わず食い違っている。
多襄丸は正々堂々検非違使と戦って自分が殺したといい、
検非違使の妻は、陵辱された自分を見る夫の冷たい蔑みの視線に
耐えられず自分が刺したといい、
検非違使の魂は妻に裏切りに落胆し、恥を忍んで自害したという。

しかし。
さらに第一発見者の杣売りは実は事の顛末まで見届けており、
杣売りが明かした真相は、人の弱さを露呈するものだった。

人の弱さこそが悪なのだ。
そしてそれを乗り越えるための強さが善なのだ。


この作品では「人間の本性は悪である。」という性悪説がテーマとなっている。
性善説と性悪説。
どちらが正しいか、という議論があるが、
僕はどちらも正しいと思う。
人間はどちらの側面も合わせ持っている。
強い面も弱い面も持っている。


人は人として生まれくる、ただそれだけで業を背負っている。
どんなに社会の中では法を遵守していても、
自然界の中では、最低限の生存活動以上の殺生をしている。
人間はそのことを強く意識すべきである。

強いエゴを持ち、己の欲を満たすために、他を犠牲にしようとする。
一方でエゴだけでは寂しすぎるので、他のエゴとの共感を得ようとする。
なんと身勝手な行為だろうか。

それでも人は自分を否定してはならない。
自分を否定することは他人を否定することになる。
他人を否定することは人間すべてを否定することになる。
自分の弱さを認めつつ、それを乗り越える強さを持たねばならない。

人間の背負った原罪を意識しつつ、エゴの外に対して、
社会と自然に対して少しでも貢献できることをしなければならない。
それは社会や自然のためのみならず、自分を救う道に他ならない。


最後に真相を語った杣売りでさえ、
私欲のために検非違使夫婦の持ち物を盗んでいた。
しかし。
羅生門の下に捨てられた赤子の産着を盗んだ男とは違う。
性悪説は、悪を認める、ということは善を廃するということではない。
自分の中に存在する悪を認めつつも、その悪から逃げず、戦うこと。

六人いる子供が一人増えて七人になったからといって、
いまさら子育ての大変さは変るまい、と言って
捨て子を引き取った杣売りの姿に坊主は救われたと言う。

「あなたのおかげで私はまた人を信じることができます。」

矛盾に満ちた世界で、いくつもの真実と偽りが交錯する世界で、
なにかを信じて生きていくのは大変なこと。

しかし信じることでしか人は生きられない。幸せになれない。
神(善)じゃなく、悪魔(悪)じゃなく、善と悪が混在する人間として。


...それが今なおこの作品を名作たら占めているものであり、
模範とされ、多くのリメイク作品を生み出している所以なのでしょう。



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