スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡【Bunkamuraザ・ミュージアム】

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会期終了ぎりぎりというところでようやくエッシャー展に行ってきました。
場所は渋谷Bunkamuraのザ・ミュージアム(B1F)。

会期終了間際ということもあってか平日昼間にも関わらずすごい混雑ぶり。
会場ではガイド端末としてニンテンドーDS Liteを無料貸し出ししていて、
これがけっこうよかった。
全180点ほどの展示物のうち主要作品30点の詳細解説をしてくれます。
作品の拡大表示などもできて、DSもこういう使い方もできるんだなあと感心。

混雑していた、というのもありますが全部見て回るのに2時間半以上もかかった。
それだけボリューム満点で内容が濃く、エッシャーの世界を十分堪能できた。
至極満足。
観終わったあとは足が棒ですごく疲れたけど。

会場はテーマによって4つの章に分けられていました。

  第1章 身近なものと自画像
  第2章 旅の風景
  第3章 平面と立体の正則分割
  第4章 特異な視点、だまし絵

エッシャーといえばだまし絵が有名ですが最初からそれだけを描いていた
わけじゃあないんですね。

最初は自画像や身近なものの素描から始まり、
イタリア各地を旅行し、描くべき景色がなくなったところで、
心象風景に至り、ついにはだまし絵へ、という過程があったようです。

エッシャーの作品を一言で言うなら「正確で緻密」。
この人の頭の中はいったいどうなっているのだろう?
...と驚嘆させらることしばしば。


展示作品の中から自分のお気に入りをピックアップ。
会場内は撮影禁止なのでネットから画像を探してきました。


第1章 身近なものと自画像

画家が、自分の作品がこの世で唯一つだけであることにこだわることにエッシャーは理解を示しながらも、自分の思想を伝えるには複製があれば十分であり、足りなければ原版が擦り減っていないかぎり、また増刷すればいいのだと言う。エッシャーにとって版画とは、特異な主題の追求にのめりこんで行った自分自身の分身であった。しかしそれは、いつまでたっても少数の人にしか理解してもらえない孤独の埋め合わせでもあった。実際、この吟遊詩人が注文に追われるようになるのは、意外にも50歳をとうに過ぎてからのことであった。
 一方、エッシャーが前人未到の領域を切り開いたのも、版画という手段だからこそ成しえたことであった。技術的な習熟を要求されるこの技法は、ひたむきで孤独な吟遊詩人にはうってつけだった。そして彼は版画を自由自在に扱い、結局は多くの現代人を魅了する独自の世界を打ち立てたのである。(出典:展覧会図録)


[椅子に座っている自画像(1920年)]


[フンコロガシ(1935年)]


[妻イエッタの肖像(1925年、会場では頭部のみバージョンが展示)]


[蟻(1943年)]


第2章 旅の風景

1922年、エッシャーは友人らとともにイタリアに旅行し、その魅力に取り付かれる。彼は毎年イタリア各地を訪れるようになり、妻となるイエッタと出会ったのもその滞在中であった。1924年彼らは結婚し、ローマに住まうこととなる。
 この時代のエッシャーは精力的に風景をスケッチしてまわり、それらは板目木版やリトグラフの作品に仕上げられ、後には木口木版も用いられた。多産な時代ではあるが、エッシャー自身は30歳代後半までのこの時代を過渡的なもの見なしていた。それにもかかわらず、近年のエッシャー展の「前半」を彩るこれらの作品群に、人々は驚嘆の声を上げる。彼らは選ばれた場所の絶景さに驚き、何よりもその仕事の細かさに驚かされてしまうのである。(出典:展覧会図録)


[地下聖堂での行列(1927年)]


[アトラニ、アマルフィ海岸(1931年)]


第3章 平面と立体の正則分割

エッシャーの愛するイタリアはムッソリーニのファシズムに呑み込まれ、居場所を失った彼はスイスへ一時避難する。そして翌年の1936年、かつてイタリア旅行の際に立ち寄ったことのあるアルハンブラ宮殿を再び訪れる。これはスペインのグラナダにあるイスラム建築で、かつてイベリア半島が後ウマイヤ朝のイスラム教徒(ムーア人)に支配されていたときに建てられた。偶像を刻まないイスラム教独特の幾何学模様を特徴とするこれらの建築物の面白さに気付いたのは、この訪問のときであった。これらのタイルのモザイク模様に用いられていた平面の正則分割にエッシャーは大いに興味をそそられる。しかしムーア人のそれはあくまでも幾何学図形による無味乾燥なものであったが、エッシャーはかつて自らも試みたこの「ジグゾーパズル」にのめり込み、図形を生き物の形に変えていくのである。またそれは知的な遊びに対する興奮でもあった。試行錯誤の結晶である膨大な習作は、「エッシャーノート」に細かく描きとめられている。(出典:展覧会図録)


[8つの頭(1922年)]


[昼と夜(1938年)]


[空と水Ⅰ(1938年)]


[星(1948年)]


[円の極限 Ⅰ(1958年)]


[円の極限 Ⅳ(天国と地獄、1960年)]


第4章 特異な視点、だまし絵

第二次世界大戦後、エッシャーの芸術は次第に評価されるようになっていった。展覧会が各地で開かれ、雑誌が好意的な論評を掲載し、科学者たちの注目も集めるようになった。そしてエッシャーの世界は、ますます深みを増していった。
 もっともその兆候はそれ以前に、鏡を使った作品群に既に現れていた。エッシャーは特に球面鏡を意識していた。理論上、球面鏡は歪めながらも全世界を映し出す。つまりそれはローマのアトリエの中に出現した閉じた小宇宙であるのだが、仕事をする彼自身も映っている球面鏡の周囲には、不気味な鳥と漆黒の世界が広がっている。禅問答的な問いかけ。作品を彫り進める脳裏をよぎるさまざまな思い。一連の「ありえない世界」として結実するのである。...(中略)...
 今日エッシャーに対する評価は、CGアートの発展とともに新たな段階に入っている。彼はそれを担う新しい世代に多大な影響を与えてきた。美術史の異端児ではなく、未来志向で捉えるためにも、あえてこの版画の吟遊詩人を「スーパーエッシャー」と呼ぶのである。(出典:展覧会図録)


[写像球体を持つ手(球面鏡の自画像、1935年)]


[バルコニー(1945年)]


[上と下(1947年)]


[描く手(1948年)]


[相対性(1953年)]


[版画の回廊(1956年)]


[物見の塔(1958年)]


[上昇と下降(1960年)]


[滝(1961年)]


エッシャーの作品の多くはよくよく見ると直線や短曲線、単純な幾何学図形で
構成されています。それを無数に、しかし計算しつくされた配置でちりばめる
ことにより、緻密で繊細な作品が出来上がっています。
どんな複雑な計算も突き詰めてみれば"0"と"1"しか存在しないデジタル世界
によく似ています。ある意味デジタルの原点といえるかもしれません。

コンピュータのない時代にデジタルでここまで緻密で精細、繊細な作品を
描いていることに驚嘆せずにはいられない。
版画家、というよりは幾何学アーティスト、といったほうがしっくりする。

エッシャーノートは彼の作品を作り上げていく過程のメモが記されていますが、
まったくこの人の頭の中にはひとつのコンピュータが埋め込まれていたのでは
ないかと疑わずにはいられない。

しかしそうはいっても彼も一人の人間。
才能が作品作りを助けたのは紛れもない事実なのでしょうが、
これらの作品群を完成するのに必要だったものは、
平面という二次元世界に三次元、四次元という世界のすべてをそこに描きたい、
というエッシャーの信念と彼のたゆまぬ忍耐と努力の継続ではなかったか。

「塵も積もれば山となる」
「成せば成る」
「一念岩をも通す」

夢を達成するのに必要なことを教えてくれるとともに、
夢を実現する勇気を与えてくれた気がしました。

最後に同展のカタログ(2,500円)を購入して疲れながらも満たされた気分で
家路に向かったのでした。

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