上野の国立博物館で開催中の「対決-巨匠たちの日本美術」展に続いて
国立西洋美術館のコロー展をはしごしました。
こちらはリブ・アーツのプレゼントに当選してチケットをGET。
ようやく念願の日本で唯一のル・コルビジェ建築を訪れることができました。
コローは最近「美の巨人」で紹介されてはじめて知りました。
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー。
森を愛し、森での時間を過ごすために生涯独身を通した孤高の画家。
後の印象派に大きな影響を与えたといいますが、
絵を見て納得。
...彼の絵は光で溢れていた。
コローは森をはじめとした風景画で高い評価を受けているわけですが、
けして人物画が描けないわけではなく、むしろ人物画でも高い評価を得ています。
[真珠の女(1858-1868)](出典:Wikipedia)
[青い服の婦人(1874)](出典:Wikipedia)
[水浴するディアナ(1869-1870頃)](出典:Wikipedia)
[傷ついたエウリュディケ(1868-1870頃)(出典:Wikipedia)
...にもかかわらず風景画の画家として有名なのはなぜか。
それはけして単純に描いてきた数の問題じゃない気がする。
これらの人物画は魅力的で良い絵だと思う。
...しかし一方で、自分には魂がこもっていないようにも見える。
絵を見ている人間は絵の中の人物との距離を感じてしまう。
見ていてむなしさを感じるのは画家の孤独が垣間見えるからだろうか。
彼は本当に生涯孤独であることを後悔していなかったのだろうか。
[ティヴォリ、ヴィラ・デステ庭園(1843)](出典:Wikipedia)
[モルトフォンテーヌの想い出(1864)](出典:Wikipedia)
コローの迷いが晩年の風景画に現れている気がします。
初期の頃はすっきりした透明感のある絵だった。
しかし晩年は印象派の特徴である筆触(タッチ)が見えはじめている気がするのです。
そしてタッチは印象派へと引き継がれた。
...違うだろうか。
写真のない時代、絵画はいかに正確で緻密に模写するか。
それが優れた絵画の基準とされていた。
写真が登場して絵画にその基準が求められなくなったとき、
絵画に求められたのは画家の個性、「タッチ」だった。
モネにはモネのタッチがあり、
ゴッホにはゴッホのタッチがあり、
セザンヌにはセザンヌのタッチがあり、
ルノワールにはルノワールのタッチがあり、
ゴーギャンにはゴーギャンのタッチがある。
タッチは「情感」であり、それが絵画の最大の魅力となる。
コローの絵はそのタッチの元初ではなかったのでしょうか。
...素人の一感想ですけど。
最後に図録を買って帰りました。
[図録 2500円:セミハードカバーでけっこう豪華なつくり]
いやー、勉強になったなー。