ほんとうの環境問題

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池田清彦&養老孟司共著。

大学の研究室の助手さんの薦めで読みました。


僕はそれほど熱心なエコロジストではないですが、
アル・ゴアの「不都合な真実」の映画と本で
人間の地球に対する身勝手な行為について疑問視するようになりました。

「不都合な真実」は人類の社会活動による二酸化炭素の排出で
地球温暖化が加速し、極地の氷が溶けて海面が上昇し、
砂漠化が進み、大型台風が吹き荒れ、人類および地球の存亡の危機に至ることを
強く訴えているわけですが。

本書では真っ向からこの環境問題の悲観論に対抗しています。
楽観論というか、問題はもっと別のところにある、と。
地球温暖化は人類の社会活動によるものではなく、
地球の自然な活動の結果だと。


悲観論か楽観論か。
素人の僕には正直どちらが正しい事実を述べているのかは分からない。

しかし素人の僕らにとって大切なのはデータの正確性ではなく、
人間として僕らが地球に対してすべきことはなんなのか、ということ。

少なくとも自分のことだけ考えて、人類のことだけ考えて
好き勝手やってればいい、ということではないはず。


地球は人間だけのものじゃない。
人間が知恵という武器ですべての生物の頂点に立つとしても、
他の生物や地球環境を自由に破壊していいわけじゃない。

タイトル通り本書ではさまざまな点から「ほんとうの」環境問題について言及しています。

ペットボトルを分別してリサイクルしても金がかかるばかりで
環境問題の解決にほとんど寄与していないという事実。

リサイクル法でテレビや冷蔵庫の廃棄に課金しても
粗大ゴミが海外に流出してマクロ的には問題の解決に至っていない事実。

省エネ技術が進んだ日本では京都議定書の基準をクリアするのは難しく、
また莫大な費用がかかる、と言う事実。

京都議定書を批准する各国が目標をクリアしても
地球上の二酸化炭素の量はほとんど減りはしない、と言う事実。

などなど。

政治的、経済的背景だけで行動し、
問題の本質に触れないまま金だけが浪費される現実。
このままでは環境問題は流行で終わってしまう。
せっかく21世紀になって人間の犯してきた過ちに気付いたというのに。

本書の流行になりがちな現在の環境問題に対する社会の対応を憂える姿勢には同感します。


しかし一方で疑問に思う部分もある。

エコを意識するには2つのタイプがあると僕は思います。

1つは自分(人類)が損をしないために、利益を守ろうとする意識、
もう1つはかけがえのない地球を失わないために人間のエゴを戒める意識。

前者は見えやすいことから意識しやすく、後者はマクロ的なものなので意識しづらい。
しかし本質的な面では後者のほうこそ重要なはず。


溶けかかっている氷の上をホッキョクグマが餌を探して彷徨う姿を撮った映像を見て「深く考えさせられる」と言ってる人がいるけど、そういう人は何を深く考えているんだろうね。

この言葉にはがっかりです。
およそ医学者、生物学者たちの言葉とは思えない。

地球温暖化がたとえ人類の社会活動による影響をほとんど受けていないとしても、
本当に現在の人間の活動が必要以上に他の生態や環境を犠牲にしていない、
と言い切れるのか。言い切れる人間は相当無知か鈍いんじゃないか。

足場を失って泳ぎ続けるホッキョクグマの姿を見て、
人間の社会活動が地球に生きる一生物として妥当なのかどうか、
それを深く考えなきゃいけないんじゃないの?

とかく正しいデータをとることを主張していますが、
それこそ人間のエゴに囚われきっているなによりの証拠。
データがすべてじゃない。
データが本質のすべてを表現してくれるわけじゃない。

誰の所業であれ、解けゆく氷、消えゆく緑を目にしたならば、
それを防ぐことを考えるのが人間の知恵の正しい使い方じゃないのか?
その意味では「不都合な真実」は十分に正しく環境問題を伝えていると思う。
たとえゴア氏が豪邸に住んでいるとしても、です。
かたや言葉やデータのみをあれやこれやと述べるだけでは説得力に欠けるというもの。


知恵と同時に「欲」を持ってしまった人間がいかに「最低限の」生存活動をしていくか。
それが人間が背負うべき責任ではないでしょうか。