粗い石【フェルナン・プイヨン】

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「光の教会」を読んだときに、
安藤忠雄が読んだ本として紹介されいて、読んでみたのだけど。


...内容が難解すぎる。


ロマネスクの代表建築、ル・トロネ修道院の建築過程を、
修道士であり、建築家であり、工事監督者であった主人公の日記、
という形で綴った物語。

シトー会というキリスト教のなかでも最も戒律の厳しい宗団においては、
人里から離れた土地を開墾し、自分たちが暮らす建物を自分たちで建て、
自分たちが食べる食料を自分たちで育てる。

生きていく上で必要なすべてのものを自分たちの手で手がける。
それは生きていく上で何が必要かを常に意識させられる。
かつて僕らはそうやって生きていたはずだった。


それがいつしか、効率化という名の下に社会が分業化が進んでいった。
結果、ただ生きていくことに関しては格段に便利になったけど、
「より良く」生きていくことに関しては、逆にその道が閉ざされてしまったのではないか。


...難解ながらもこの本を読み終えて、現代社会の理不尽さを感じた一幕でした。


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(出典:Wikipedia)

わしが守るのは石材以上のもの、材料に対するわしの信仰なのじゃ。信仰なくして美はない。顧客に対して自由で、隷属していない工事監督の好き嫌いをわしは認める。彼は自由に自分の形、自分の技術、自分の材料を選んでよろしい。建築家の画一的な追放投票は弱さの徴じゃ。流行は頽廃と凡庸の形の一つなのじゃ。この厭うべきやり方に従う芸術家が、自分の存命中に自分の作品の愚劣さ気づくことが度々ある。それから免れようと彼はもう一度すでにたどった道を取る。過去の流行に失望して、彼はまた、今の流行に信をおくのじゃ。...(中略)...流行はそれを始める人にとってのみよいものなのじゃ。こうして真の天才をもてすれば、流行が真の芸術となり、才能なくしては、それを利用する人にとって快い茶番狂言になるだけなのじゃ。材料の選択について早まった判断を下さずに、絶えず自由でいるなら、工事監督はあらゆる技術を研究することができるはずじゃ。...(中略)...彼がいつも自分の好む形を選ぶなら、どんなに多様な表現のなかにも、人々はすぐに彼の作品を認めるのじゃ。一つの哲学のように、魂の力が彼の手と彼の目を導く。感受性は技術の思いのままに変わるものではなく、いつも同じなのじゃ。(P108)

人間は「変化」を好む生きものである。
同時に他の人と同じものを「共有」したがる生きものでもある。
この二つの習性が「流行」を産み、流行が現代社会を形成している。

しかし、その核心に本質をまとわない流行はいずれ消えて跡形もなくなる。
表面上には現れない、奥深くに潜んでいる本質の探求なくしては、
「自分らしさ」は見つからないのである。

流行を追うのは決して悪いことではない。
ただ、それに終始するだけでは進歩も進化もない。


「いいや、というのは生命が愛よりもっと大事じゃからじゃ。生命とはより速く建てること、もっと容易な、もっと凸凹の少ない有効性を求めることじゃ・・・」「そしてもっといい物を」「わしはそういわなかったし、考えもしなかった」「お前様はそれではこの石が好きなので?」「そうじゃ、あの石が好きになってしまったようじゃ。最初の日から、なぜと議論することも考えつかぬうちに、この石を尊敬するようになった。もしこの愛がなかったら、わしがお前に話したようには、それについて決して語らなかったことだろう。今では、この石はわしの、わしたちの仕事の一部となり、それはわしらの僧院じゃ。わしは夢のなかでそれを撫で、太陽がその上に落ち、朝それが石の目覚めを目覚めるときにまた会ってそれに色を与え、雨がそれを暗く濡らせて輝かせる。わしはそれに欠陥があり、あららしく自分を守り、わしらの手から逃れようとするその狡さのせいで、いっそうそれが好きになる。...(中略)...たとえ生きて動きまわれなくなったとしても、わずかばかりの自由を残しておいてやりたいのじゃ。お前はこの石を愛するためにわしがもうここにいてやれなくなったときに、それに無頓着でいたいと思うのか」(P110)

形を考えるのが好きだ。
いや、それだけでは言葉が足らぬ。

ただ形を考えるだけであれば、二次元でも十分できる。
僕は「触れる」ことのできる形を創りたい。
触れることに喜びを感ずることのできる形を創りたい。
それがこの世界に確かに存在する、ということなのだから。

二次元で表現できてしまう形など。
それがどんなに複雑で、あたかも三次元のように見えるとしても。
三次元に限りなく近づくことはできても、越えることはできない。
デジタルも所詮、そのようなものではないだろうか。
限りなくリアルに近づくが、リアルを越えることはない。

触れることができる形を作るには、
素材を知らねばならない。素材を愛せねばならない。


大切なものは目に見えない、といえど、
結局の所、それは虚空に漂うものではないのだから。
「心」も「人」という「モノ」に宿るのだから。


難解ながらも、モノを創ることとはどういうことなのか、
それをおぼろげながら感じることができた一冊でした。

たぶん何度も読み返すべき一冊なのだ。


ただ、どうやら絶版なんだよなあ...この本。