大学の「社会と芸術の授業でピカソの《ゲルニカ》について学び、
そのテスト対策で読みました。
授業ではピカソの他、ゴヤやダリ、ロルカなど
スペインの芸術家たちについて学んだけれど、
ヨーロッパの西端に位置するこの国のことを自分は意外と
把握していなかったことに気づいた。
僕が生まれた頃、スペインはまだフランコによる独裁国家だった。
そして第二次世界大戦後に生き残った唯一のファシズム国家だった。
もっともスペインは大戦に参加しなかったから生き残れたわけだけど。
1973年にピカソがついに愛すべき故郷スペインに戻れぬまま死亡、
ついで1975年にフランコが死亡して、
ようやくスペインに王政ながらも民主国家が戻る。
つまりはスペインの民主制は僕よりも年下なわけだ。
スペイン内戦中に工業都市ビルバオを無傷で手に入れるために
フランコ率いる反乱軍は1937年4月、
バスク地方の文化的象徴であるゲルニカを反乱軍と結託したドイツのコンドル軍団に攻撃させる。
ただ見せしめのためだけに。
ゲルニカ爆撃は一般市民をねらった世界初の無差別攻撃であり、
この攻撃を非難するものとして、
ピカソはパリのアトリエで《ゲルニカ》を描きあげた。
[ゲルニカ(写真は大塚国際美術館の陶板画)]
本書はピカソが《ゲルニカ》を描くに至ったゲルニカ攻撃の経緯にはじまり、
ピカソがゲルニカを描く過程、パリ万博での展示を経て
ゲルニカがニューヨークの近代美術館に渡る過程、
そして故郷スペインに戻ってくる過程が詳細に説明されています。
たけり狂った牡牛と馬、
折れた剣を握って倒れている兵士、
死んだ赤子を抱いて嘆いている母親、
両手を挙げて絶望している女性...
タイトルに攻撃された小都市の名前を冠しながら、
その絵にはゲルニカの具体的な様子を示唆するものはなにも描かれていない。
攻撃したコンドル軍団も描かれていない。
具体的な表現をせず抽象的な絵とすることでこの絵は世界中で
戦争の悲劇を伝えるシンボルになった。
この絵に関して賛否両論はあったけれども、
いずれにおいても見る者にインパクトを与えたことには間違いない。
1981年にようやく《ゲルニカ》は念願のスペインに戻ったものの、
その絵を描く元となった当の街に戻ることはなく、
現在はマドリッドのソフィア王妃美術館に展示されています。
バスクではビルバオのフランク・ゲーリー設計のグッゲンハイム美術館に
《ゲルニカ》の展示スペースを用意して今なおその帰還を待ち続けているとか。
著者のラッセル・マーティンはかつてスペインに留学してスペインの芸術を
教えてくれた師と出会った。三十年のときを経て再びスペインの地を踏み、
師との再会を果たし、念願の《ゲルニカ》を鑑賞しているその最中に、
ニューヨークで9.11事件が勃発する...
...悲劇は繰り返される。
この絵をじかに観たい。
この絵を観てどう感じるか、自分に問いたい。
常に死と隣り合わせに生きてきたスペインで見えるものがある。
生きる意味がそこに行けば見出せる。
多分そう思うから僕はこんなにもスペインに惹かれる。
いつか必ず、そう遠くないうちに訪れたい。