アントニ・ガウディとはだれか【磯崎新】

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ガウディといえばサクラダ・ファミリア。
...というか僕はそれしか知らなかった。

空へ伸びる有機的な尖塔の数々。
没後80年が過ぎてなお、建設され続けるこの建物を設計したガウディとはいかなる人物だったのか?

...というわけで読んだのですが。

...余計分からなくなったような^^;
この本は建築のことを知らない人には難しすぎる。


著者の磯崎新さんは、僕の好きな大学の講師の方の恩師にあたる人らしく、
それでその名前を耳にするようになりました。

よくよく調べてみると、建築界では高名な方らしく、
あの水戸芸術館ハラ・ミュージアム・アークを設計した人でもあります。

しかし文章は難しい。
知らない単語はもちろん、文の形容自体も何を言わんとしているのか、
よく分からない。

しかし何事も継続していれば少なくとも何かしら得るものあり。
...というわけでちんぷんかんぷんながらも何とか読み切り、
そこで得た数少なき賜物を紹介したいと思います。


まず、キーワードを以下に挙げます。

「組積造」
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[アストルガの宣教師館](出典:Wikipedia)

石・煉瓦・コンクリートブロック等を積み上げて作る建築物の構造のこと。
柱と梁で屋根を支える「架構式構造」に対極するもの。

 
「カタルーニャ・ヴォールト」

[サグラダ・ファミリア附属小学校]

スペイン・カタルーニャ地方における伝統的なレンガ工法。
薄いレンガを型枠なしで速乾性のモルタル(しっくい)で接着して
階段や、ヴォールトなどを築いていく。
強固な曲面構造を安価にしかも容易に施工できる。


「回転放物面体」
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(出典:Wikipedia)

二次曲面のうちの楕円放物面において、水平面に対する断面が円となるもの。


「逆さ吊り構造模型」
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(出典:Wikipedia)

ヒモを垂らすことでできる放物線は重力という自然法則で必然的に形成される理想的な曲線。
この状態で働く引張力は逆さにすると圧縮力となり美しくて頑丈という理想的な構造形態となる。

...これらのキーワードがガウディを語る上で必要な要素となる。


ガウディの主要な建造物。


「サクラダファミリア」
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(出典:Wikipedia)

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[サグラダファミリアの螺旋階段](出典:Wikipedia)


「カサ・ミラ」
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(出典:Wikipedia)


「グエル公園」
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(出典:Wikipedia)


...などなど。
おもに宗教建築、住居建築を手がけた人のようです。
若い頃は街灯の設計もしてたとか。
ほとんどがスペインはバルセロナ、カタルーニャ地方を活躍の場にするものですが、
ニューヨークのホテル計画といったものも手がけたことがあるみたいです。
ニューヨークのホテル計画は実現こそしませんでしたが、そのスケッチを見る限り、
実現していれば、あの独特の曲線の巨大尖塔(高さはあのエッフェル塔とほぼ同じ!)
がニューヨークの一大モニュメントになったであろうことは間違いないでしょう。


彼の建築を磯崎さんの言葉で要約するならば、

「動力学的な有機的な構成体」

という表現になります。
ガウディの建築は一見装飾として衣服をまとったようなものに見えますが、
実際は余分な贅肉を削っていくことで骨肉がそのまま見える、という表現が
しっくりくる。そこが磯崎さんの言う「動力的で有機的」たる部分なのかな。

時代的にはあのクリスタル・パレスが建造された、最初の万国博覧会の翌年に生まれ、
デザインで言えばアール・ヌーヴォー、アール・デコからバウハウス、
アートで言えばダダイスムからシュルレアリスムへとまさにアート・デザインの
激動期に生きながらあえてそれらの影響を真に受けることなく
独自の路線を歩んでいたガウディ。

同時代には現代建築の三大巨匠、ル・コルビジェフランク・ロイド・ライト
ミース・ファン・デル・ローエがいました。
(彼らのほうが若干後輩になりますが)

カタルーニャという独特の風土が彼の個性を独特にしたのかもしれませんが、
それでも様々な外因から確固とした自分の芯というもの見失わずにいるには
よほどの強さが必要なのだと思う。

自分の芯はこれなんだ、と自分を信じ切ることのできたガウディ。
でもけして外因を無視し続けたのではなく、
逆に参考にしつくした上での選択だからこそ、後生にここまで残っているのだと思う。


これまで僕はいいものはすぐ完成され、すぐ評価されるものばかりだと思ってた。

しかしそうじゃないものもある。
「死後に評価されたって仕方ないじゃないか」
そういう声もあるかもしれない。
でも結局人にはペースがあって、その人にあったペースで、
その人に合ったやり方で、自分が納得して生きること以上の
最良の選択はないんじゃないか。

人の評価なんてその後についてくるものだし、
人に評価されないのは悲しいけれど、
自分が自分を評価できないこと以上に悲しいことはない。

すぐには評価されないかもしれない。
でも信じる道を全うしていればいずれ誰か信じてくれる。
先のことなんて誰にも分からないものならば、
そう信じる方が得じゃないか。
そしてそれこそが幸せになれる唯一の道じゃないだろうか。


人生3周り生きてきて未だ大学生。
どう考えても速いペースの人生とはいえない。
それならばじっくりのんびりやろうじゃないか。

こう思えただけでもこの本を読んだ甲斐があるというものです。
もう少し勉強した後、もう一度この本を読んでみたいと思います。
そのとき、この本の真価が理解できると思う。