クリムト&シーレ 〜世紀末ウィーン〜

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[グスタフ・クリムト「接吻」1907-1908年](画像は大塚国際美術館の陶板画)

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[エゴン・シーレ「死と乙女」1915年](画像は大塚国際美術館の陶板画)


「文学と美術」の授業。

中村先生お得意の神秘主義、宿命の女(ファム・ファタル)、アンドロギュヌス
などのシリーズが終わり、その次のテーマが19世紀末のウィーン。


多民族国家によるオーストリア=ハンガリー二重帝国が成立するも、
初代皇帝フランツ=ヨーゼフⅠ世一代の短命政権に終わり、
皇太子の心中、皇帝の甥の暗殺による第一次世界大戦勃発...
と不安定な世情を反映して「死」「エロス」といったテーマが
世紀末ウィーンの芸術を支配する。


その代表格がウィーン分離派(ゼツェッション)を起こしたグスタフ・クリムト。
そしてクリムトに見出されたエゴン・シーレ。


エロスにおける芸術と娯楽の境界はどこにあるのだろう。


まずはクリムトからお気に入りの作品をピックアップ。

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[アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I(1907年)](画像は大塚国際美術館の陶板画)


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[ユディットⅠ(1901年)](出典:Wikipedia)

聖書外典を題材にした古典的な絵画。


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[旧ブルク劇場の観客席(1888年)](出典:Wikipedia)

初期にはこんな奥行きのある空間も描いていたんだね。


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[哲学(1907年)](出典:Wikipedia)

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[医学(1907年)](出典:Wikipedia)

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[法学(1907年)](出典:Wikipedia)

ウィーン大学より依頼されて描き上げた天井画三部作。
いろいろ一悶着あった曰く付きの作品。
第二次世界大戦の折、ナチスが接収し、敗戦間際に放火して焼失。
なんと愚かな。
人類の宝を今はもう資料でしか見ることができないなんて。


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[死と生(1911年/1916年)](出典:Wikipedia)


クリムトの作品は、
退廃的でありながら、静謐でなめらかな曲線で構成されている。
死もエロスも、忌むべき存在でなく、生と仲良く共存する存在として
捉えているような気がした。
どこかミュシャと雰囲気が似ている気がするのは僕だけだろうか。


一方シーレはといえば...

クリムトが絵画の対象としての自分にはほとんど興味がなく、
自画像をほとんど描かなかったのに対し、
シーレは自己顕示欲が強く、多少のナルシズムもあったように見える。

多くの自画像を残し、斜に構えるその面持ちには独特のエゴイズムが漂う。
クリムトが曲線的であるのに対し、シーレは直線的、
触るとケガをしそうな鋭いトゲ、刃を心のなかに持っていそうな。


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[首を傾けた自画像(1912年)](出典:Wikipedia)

触るものすべてを傷つけそうな険しい表情。


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[ほおずきの実のある自画像(1912年)](出典:Wikipedia)

数ある自画像の中では比較的穏やかな表情のもの。


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[ヴァリーの肖像(1912年)](出典:Wikipedia)

「ほおずきの実のある自画像」と対になる作品。
恋人と共にあるときのつかの間の安息の表情、ということだろうか。


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[隠者たち(1912年)](出典不詳)

前にいるのがシーレ、後ろにいるのは師たるクリムトなのか。
自分の中の激情を押さえてくれる存在がクリムトなのだろうか。


シーレのエロスは、クリムトより世俗的で直情的。

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[両肘で体をささえ、ひざまずく少女(1917年)](出典:Wikipedia)

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[座る男の座像](出典:Wikipedia)


数は少ないものの、風景画(?)も描いている。

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[晩秋の小さな木(1911年)](出典不詳)

本来穏やかな存在であるはずの樹木にさえ、
シーレの心のなかのトゲが見えてくるような。


子どもの頃、祖父によくボーリングを連れて行ってもらった。
ボーリングはピンのど真ん中に玉を当てれば良いものではなく、
中央ピンのやや斜め側に回り込むようにして当てるのが
ストライクをとるための定石である。
だからボーリングではカーブが重要な技術となる。

しかし、自分はいつまでたってもカーブをおぼえず、直球勝負だった。
単純明快を好み、それこそが自分の道だと思っていた。

しかし、直球は時に自他を大きく傷つける。
自分自身は覚悟すればよいが、他人には思いやりが必要だ。


この週末でこの一年の共通教育の授業が終了しました。
あとは年明けのテストのみ。

自分は4年生なので、これでこの大学でのすべての共通教育の授業が終了。

3年生の時点で、共通教育履修に必要な単位数は取得していたので、
4年生はあえて共通教育科目を履修する必要はなかったのだけれど、
二科目履修して、そのどちらも全出席。

別に性格が真面目だから、というわけではなく、
単に学費がもったいない、というケチ心半分、
ここまできたら中村先生の授業すべて履修したい、という気持ち半分。

そしてやっぱり履修してよかった。

共通教育というと、義務的、形式的というイメージが否めないけど、
自分にしてみれば、この大学で学んだ有益なことの半分は、
この共通教育にあった。

専門課程では失望させられることが多かっただけに、
専門課程だけではここまで満足感を得ることはできなかったろう。
専門学校では得られない、基礎中の基礎、自分の中の核となる部分を
この大学で再発見できたと思う。
これは大きな収穫だ。


しかし机上の学びはそのままでは、社会で生きることはない。
いかに生かすか、は自分次第。

次にすべきことは、世界を歩き回ることだな。


さて、どのようにしてそれを実現すべきか。