GW中日、東京国立近代美術館で開催中の東山魁夷展に行ってきました。
魁夷人気とGWまっただ中という時期も相まってか、
会場はかつてないほどの混雑ぶり。
東京国立近代美術館へは過去何度か足を運んでいますが、
いつ行っても空いてる、というイメージだったのですがこの日ばかりは
朝10時過ぎに行ったのですがチケット売り場はすでに長蛇の列。
自分は事前に前売りチケットを買っていたのでこの列には並ばなくてすんだのですが、
会場自体がすでに人の山。
入場制限こそまだかかってなかったものの、牛歩の歩み。
会場がとても狭く感じました。
絵画は人混みにもまれて見るもんじゃないね。
とくに魁夷氏の絵は心静かに落ち着いて眺めたいもの。
...それでも東山魁夷の絵は多くの人の心をとらえて離さない。
その絵に人は登場しないけれど、描かれているのは紛れもない人の心。
エゴを抜けだし多くの人と魂を共有させてくれる。
氏の絵とはそういうもののような気がするのです。
会場内は撮影禁止でしたが、後年MOMAT常設展で撮影できました。
それ以外についてはpinterestから拾ってきています。
第1章 模索の時代
[残照(1947年)]
出世作となった作品。
この絵の前に立つと、あたかも山頂に立っているかのような爽快感を感じる。
第2章 東山芸術の確立
[道(1950年)]
この道はどこへ続くのだろう...
[秋翳(1958年)]
ここに描かれた全体の構想は、まず東山の頭の中で形づくられたものだという。そして実際に制作する上では、条件に見合う山を各地に探しまわり、結果的に上越国境の法師温泉の裏山をモデルにして、当初の構想どおりに三角形に整えて描いた。
[青響(1960年)]
福島から磐梯へ抜ける土湯峠の近くで取材。谷をへだてた向かいの、橅の原生林覆われた斜面を描いている。タイトルとなった青い響きとは、木々の形ひとつひとつが積み重なり、リズミカルに反復するさまを喩えた言葉である。(図録P60ページ)
[たにま(1953年)]
3章 ヨーロッパの風景
1962年にデンマーク、スェーデン、ノルウェー、フィンランドを旅行した。
[映象(1962年)]
[冬華(1964年)]
絵のモチーフとしては新宿御苑の木を参考にしているそうですが、
作品としては実在しないまったくの幻想から生まれたもの、だそうです。
白馬のいる風景。
実際の風景として白馬を描いたのではなく、
絵の主題として意図的に白馬を描いたとのことですが、
その動機について魁夷自身は以下のように語っています。
「...(中略)...それは心の祈りを現している。描くこと自体が、祈りであると考えている私であるが、そこに白馬を点じた動機は、切実なものがあってのことである。しかし、ここから先は、私自身に問うよりは、この画集を見る人の心にまかせたほうがよいと思う。」(図録94ページ)
第4章 日本の風景
京都・円山公園のしだれ桜を描いたものだそうです。
京都ホテルの屋上から眺めた京都の街並みを描いたものだそうです。
今、この風景を実際に見ることはできるのだろうか。
第5章 町・建物
第6章 モノクロームと黒
第7章 おわりなき旅
自宅の近くに似たような風景があります。
木の数が一本少なく、眼前が水辺でもないですが。
氏の絵も大好きなのですが、自分は氏の生き方そのものにも惹かれる。
在世中にあれだけ成功しながら彼は富におぼれることなく生涯絵を描き続けてきた。
若くして家族を失い、一人残った妻と寄り添い、
スケッチブックを片手に写生旅行に明け暮れる日々。
大家といえどそこへ至るまでの道は平坦でなく、39歳の時に描いた「残照」で
ようやく世間の日の目をみるというまさに遅咲きの大家。
生涯弟子をとることもなく、子供もいなかった(...のかな?)氏は
すみ夫人という最良の伴侶がそばにいながらも終生孤独から離れることが
できなかったのではないでしょうか。
人は一人では生きられない。
だから人は一生自分のエゴから出ることができないと分かっていても、
他人とつながろうとする。
その一方一人になることで、孤独になることで見えてくるものもある。
人生は孤独と共生、この2つのバランスで成り立つものではないでしょうか。
孤独の中で生まれた絵は多くの人に共生をもたらしてくれる。
「緑響く」「道」「花明かり」「夕星」...
地球上のどこかにありそうだけどどこにもない。
それらの風景は人の心にある風景。
アートって「心」を可視化するものなんだね。
そしてデザインは「心の交流」を可視化するもの。
言い換えればコミュニケーションを可視化するもの。
...心を可視化したい。
図録買いました。
[図録 2300円]