[ダ・ヴィンチ 手稿に基づく鳥人間の模型]※出典:ダ・ヴィンチ展図録
大学の共通教育の授業。
中村先生の特講Ⅲでは例のマシンガントークが冴え渡り、
2ヶ月前にしてすでに予定の授業内容が終わってしまい、
付録的な講義が突発的に行われております。
それはそれで面白いのだけど。
今回はレオナルド・ダ・ヴィンチがテーマでした。
ラファエロ、ミケランジェロと共にルネサンスの三大画家と称された芸術家。
同時に幾何学や人体、自然科学、飛行機などあらゆる分野に興味を示し、
膨大な手稿を残した優れた科学者である。
人類史上最も優れた人間の一人とも賞される天才の素顔とは?
...なかなか面白いテーマでしょ。
ダ・ヴィンチの代表作品をスライドで解説しながら彼の素顔に迫っていきます。
[受胎告知(1475−1485年)](出典:Wikipedia)
[東方三博士の礼拝(1481年)]※画像は大塚国際美術館の陶板画
[岩窟の聖母(ルーヴルバージョン、1483年−1486年)]※画像は大塚国際美術館の陶板画
[岩窟の聖母(ロンドンバージョン、1495年−1508年)]※画像は大塚国際美術館の陶板画
[聖アンナと聖母子(1510年頃)]※画像は大塚国際美術館の陶板画
[聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ(1499年−1500年頃)]※画像は大塚国際美術館の陶板画
ヤン・ファン・エイクが発明した遠景になるほど色調が青みがかるという
空気遠近法を活用し、自らもスフマート技法という輪郭線をぼかすことにより
自然な表現を実現する技法を編み出したりもした。
さらに組紐(ヴィンチ)模様による幾何学図形による装飾も編み出したりした。
世界でもっとも有名な絵画のひとつでもある「モナ・リザ」には
さまざまな謎が盛り込まれています。
[モナ・リザ(1503年−1505年/1507年)]※画像は大塚国際美術館の陶板画
左右の背景の地平線が微妙にずれていたり。
そしてこの左右の背景を入れ替えると地平線がぴったり一致する。
モナ・リザの左右の表情が微妙に異なっていたり。
片方は微笑み、片方は憂いを帯びている。
「モナ・リザ」のモデルは誰なのか?
ジョコンド婦人説、イザベラ・デステ説など諸説あるようですが、
ダ・ヴィンチの自画像から、モナ・リザは彼の母親、あるいは
ダ・ヴィンチ自身ではないかという驚嘆すべき説に帰結します。
確かにモナ・リザは美しい婦人の絵なのですが、男性的にも見える。
ここにダ・ヴィンチのアンドロギュヌス(両性具有)へのこだわりが垣間見えます。
旧約聖書によれば、「神は我々に似せてアダムをお創りになった」とあります。
絶対無二の存在である神が「我々」とあるのは神は「全て」であるがゆえに
男性も女性も含むアンドロギュヌスであった。だから「我々」なのです。
そして最初に作られたアダムもアンドロギュヌスだった。
ここにキリスト教の男性優位の根拠があります。
ゆえに神聖なものを描く場合にはアンドロギュヌスの要素が不可欠になる。
モナ・リザにはこのような神聖性が描かれているのです。
[洗礼者ヨハネ(1514年頃)](出典:Wikipedia)
このヨハネもどこか中性的でアンドロギュヌス的。
ダ・ヴィンチは公証人である父と農民(もしくは樵)の娘であった母の間に
生まれるのですが両親は結婚はしなかった。
最初は母親の元で育てられるが、やがて父親に引き取られる。
公証人として忙しい日々を送る父親にはろくに相手に去れず、
さびしい少年時代を過ごしたとか。
このような少年時代のトラウマが、母親への憧憬が、
ダ・ヴィンチの作品に影響されているのではないでしょうか。
ダ・ヴィンチ自身はこういっています。
「過剰な感受性が生涯私を悩ませた」
彼が天才たる所以はセンス以上にあらゆるものへの貪欲な興味なのかもしれない。
鋭すぎる感受性があらゆるものに反応した。
そういうことではないでしょうか。
どれだけ集中できるか。
何かを成すのに必要なことは結局のところそういうことなのだと思う。
しかしそれはけして幸せなことばかりではない。
幸福の裏にはいつだって悲しみが潜んでいる。
ダ・ヴィンチの素顔を垣間見ながらふとそんことを感じた授業でした。
さて、来週のテーマはなんだろうな...
楽しみ楽しみ。
ジョン・レノンとかすでにやったテーマじゃありませんように。