家を建てるということ

tamariversidehouse.jpg


世間は三連休。
しかし週明けがレポート提出日なので家にカンヅメ。
ま、プータローには毎日が連休だけど。

レポートを仕上げなければならないのに集中力が持続しない。


...というわけで息抜きにブログ書きます。

家を建てる、ということはどういうことだろう?

どんなに有名な建築家が洗練された造形の建築を作っていても、
全ての建築家がいつもそんな仕事ができるわけじゃない。
それくらいは僕にだって分かる。

地道に地味な仕事をこつこつと時間をかけて、
積み重ねていかなければならないだろう。
...その長い時間の間にはたして僕は、
自分の理想を見失わずに持ち続けていられるだろうか。

手先が不器用だから、模型一つ作るのも四苦八苦する。
まっすぐな線を切り出すことさえままならない。
スタートが遅いから、
年下のキャリアを積んだ若者の指示を仰がなければならない。

道は見つかっても、不安でたまらない。
だから僕は自分の志を人よりも1回でも多く、
何度も何度も見つめ直し、反芻しなければならないんだ。


家を建てる、ということはどういうことだろう?

家を建てる、ということはそこで暮らす人々の生活基盤を与えることだ。
それはその人の人生を左右するかもしれない。
そう考えると、建築を芸術云々という前に、
もっと考えなければならない重要な基盤があるはずだ。

そこが建築が単なる芸術ではない部分であるし、
同時に建築が最高の芸術である部分でもあると思う。

家とは、そこで暮らす人々の生活を保護するものでなければならない。
それは芸術以前に建築が最も死守しなければならない基盤である。
ただ、この基盤があれば人は幸せに暮らせるのかというと、
その基盤だけでは画竜点睛を欠いた状態である。

竜の目に瞳を入れるもの。
それが芸術であり、より良く生きるための「喜び」を与える要素。
芸術は限られた人々のためのものではなく、
より良く生きようとするすべての人々のためのもの。

格別珍しい造形を取り入れなければならないわけじゃない。
人間はシンプルな造形にも感動するようにできている。
建物が建つ場所がどういう場所で、周囲はどんな環境なのか。

単純な切妻屋根の家に夕陽が射すだけでも、こんなにも美しくなる。
その光景を眺めると、心が安らぎ、幸せを感じる。


建築家はhouseを与え、そこで暮らす人々がhomeを創る。
そうして理想の家は完成されてゆく。